しあわせの絵の具

アシュリング・ウォルシュ監督。2018年作。カナダのフォーク・アート画家モード・ルイスの半生を描いた実話に基づいた映画です。

 

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モード(サリー・ホーキンス)は、信じられないくらい粗野なエベレット・ルイスという男の家政婦の面接に行きます。

うっわあ、とか思っていると、彼女はさっさと、エベレットの家に家政婦として住み込む事を決断してしまった!

彼女はこの乱暴そうで恐ろしげな男の中に、一体、何を見ているんだ? わたしは興味津々で見ておりました。そうこうするうち、30数年がたち映画の終わりとともに、モードの死期が迫ります。

わたはもうボロ泣きであります!

 

面白いことにネットでは、二人の女性記者の会話が載っていたんですが、映画を見て号泣したと。それで、話しているうちに映画を思い出して二人してまた泣くわけです。

この状況がわたしはわかります。チラッと映画を思い出しただけで、涙が出てくるわけです。もう悲しいんです。でも、なぜなのか、どこのシーンが悲しいのかよく分からないんです。

あ。言い忘れましたけど、エベレットは顔はイイんです。役をやっているのはイーサン・ホークなんだから。

 

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 監督が言うには、「この感じの悪い男を最後には観客に好きになってもらはなくてはいけないので、そこは気を使った」、と。

思うに、気を使いすぎたのかもしれません。自分の気持ちを省みるに、わたしは、気がつかないうちにエベレットを愛していたんです。

だから、エベレットを一人残して逝くのが心残りなんです。彼が心配です。一人ぽっちになる彼が可哀想でしょうがないんです!

 

ちょい思い出しで、涙が出るのは、そういうことだと思います。(あの二人の記者さんたちもそうに違いない!)。

 

まだモードとエベレットが若い頃、彼はよく彼女を手押し車に乗せているショットが出てくるんですが、美しい風景に寂寥感があるんです。

というのも、二人の家は村からずいぶん離れたところにポツンと立っているんです。二人は、ほぼ村八分のようなものです。 1903年生まれのモードは若年性関節リュウマチのせいで手足が不自由な障害者だったからで、エベレットは親に捨てられた孤児院育ちの粗野な男だったから。昔は、こうした異質な者に対する排除があったんだと思います。

 

むかーし、田舎の片隅に暮らしていた二人。誰の記憶にも残らないようなそんな人は沢山いたはずです。けれど、この二人はモードの絵によって、後世の人々の記憶に残ることになりました。