シークレット・ガーデン

「シークレットガーデン」、最高に面白かったね、せいこちゃん!ファンタスティックなラブコメディの傑作と言っても過言ではない!のじゃない?

(1600文字)

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2010年、スタントウーマン役のハ・ジウォン☝️

 

 ネットの感想集を見たら、「わからない」が多い!

何故、「わからない」という感想が多くなるのか、その説明とオイラの感想文です。

 

 彼の横に立つハジウォンは、彼の妄想です👇

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このドラマは、詰まるところ、罪を背負ってしまった男の恋の物語です。

最後の最後に、男の過去のある出来事が映し出されます。映像だけの短い、この一連のシーンは、脚本家が天晴れというしかありません。

この構成が、このドラマを能天気なコメディに仕立てることを可能にしました。

 

事故の後、男は記憶を失い、鬱病になった、という短い会話。

何回か出てくる、ハジウォンが眠っているシーン。男は眠っているハジウォンが眉をひそめると、悲しそうな顔で彼女の額に指を当てようとします。とても印象的です。

もひとつ、

男につきまとう幻のハジウォン。これがとても病的なものだ、ということ。

 

20時間以上に及ぶコメディドラマの中に、これらのことがさりげなく、あるときはミステリアスに散りばめられています。

 

 

男の身分は、財閥の御曹司です。ハジウォンは、スタントマン(ウーマン)です。

全く別の文化圏に属する二人が出会ってから、彼の頭から、彼女が離れなくなります。

 

日本は財閥が解体されたから、ピンとこないかもですが、韓国の財閥ってのは支配層ですよね。日本で言えば、昔の大名みたいな感じかなぁ?そこの若様ってとこ。雲の上の人ですよ。

彼は、モデルのような、キムテヒのような美しいガールフレンド達に囲まれていました。ドラマの中でも、いかにハジウォンがそれらの女性たちと違うか、何回も御曹司から言及され、とても滑稽です。

 

「おー!そうくるの!」とびっくりさせられた五話目、二人の魂の入れ替り!想像以上に楽しかった!ヒントになる言葉があって、何故なのか、その顛末は想像がつくようになってます。

 

魂が入れ替わった二人は、相手の肉体に対して結構リアルな反応を見せます。

例えば、魂が元に戻った彼が彼女に抗議します。

「俺は、毎日、お前の体を綺麗に洗ってやったし、歯も1日に三回磨いたっ!」まぁ、この後、「それなのにお前は、」って続くんですが、つまり、彼は彼女の身体を大切に扱ったわけです。

で、ハジウォン(心は御曹司の彼)がとびっきりのいい女にサウナに誘われたときです。

女は、ハジウォンが恋敵だと思っています。でその女が長い白い脚を伸ばして、「綺麗でしょ?わたしはよく人形見たいって言われるのよ」と自慢します。

ハジウォン(御曹司)はジロジロ彼女を眺めて、おもむろに「それって全部、脂肪だろ」って言うわけです。

「この体は、」と、ハジウォンの腕を見せ、優しくなぞりながら

「全部、筋肉なんだぜ」と返しました。

いや、この男ならではの自慢のシーン、可笑しくて大好きです。

御曹司(魂はハジウォン)も女ならではの反応をします。

姿見で、きっちりチェックをしたのでしょう「腹筋なんて無いじゃないの!」「片方の尻が垂れてる!」

 

そそ、言い忘れ。

韓国の時代劇を見ると、身分制度がものすごく厳しくてびっくりします。

日本の時代劇では、「家」さえ残れば良いわけで、養子に抵抗がありません。養子の養子なんてたらい回しをして、格をあげたり、合理的というか、いい加減というか、もちろん、身分制度はあるし、冷酷でもあったと思いますが、韓国のそれに比べると、メッチャゆるいです。

なんていうか、「血」が大事なんでしょう、韓国は、と思います。

 

だから、御曹司の母親の異常なこだわり、というものも、そこらへんからきているところもあるのかもしれません。

 

 

「俺は彼女の男になる」という唐突に感じる言葉は、当時のフェミ的分脈の目新しさが消えたぶん、いろんな含みの方が際立ってきます。

わたしは、彼はそうするしかなかったなぁ、と思ったよ。

 

 

チェオクの剣、ファン・ジニ

 夜道を二人が歩いている。

 青黒い空に、桜が狂ったように舞い散っていた。(2100文字)

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 2003年制作の「チェオクの剣」です。 ハ・ジウォン主演☝️

 

逃げている男にチェオクが剣を向け、仕留めようとしている。男は、生き別れたチェオクの兄…。

ドラマは、この冒頭の一連のシーンで結末を見せている。

観客だけには、男がチェオクの兄であることが分かる。

 

チェオクは貴族(両班)の娘だった。大事に大事に育てられた7歳の女の子は一夜にして全てを失ってしまう。父親は謀反の罪で殺され、一緒に逃げた兄とは離れ離れになり、彼女は捕まった。

心が潰れそうになったよ、わたし。小さな小さな女の子は奴婢(奴隷)にされ、下働きの女に小突かれながら歩いている。たくさん歩いたのだろう、彼女の足は血だらけだった。

 

 もうどうしようかと思って見ていると、その小さなチェオクは若様に出会うのだ。

12歳くらいの若様は、実は、朝鮮の苛烈な身分制度の中では、半分、と呼ばれる立場。母親の身分が低いせいで、官僚にはなれない。

 けれど優秀すぎて頭一つ抜きん出てしまう若様は、様々な塾を転々としていた。高い身分の子供たちの嫉妬をかってしまうのだ。

 

絶望した少年は、絶望的な不安の中に居る小さな女の子と出会うのである。

 

若様は寺に預けられる。もちろん召使のチェオクも一緒だ。

この二人がのどかな山奥の寺で成長していく映像が、ものすごく心に残っている。

 

若様はこの時のことについて、こういう言い方をする。

「お前が居ると、呼吸ができた」

「お前を守るために強くなる」というありきたりなセリフは言わない。

 

冒頭で追われている兄が言う。

「道のないところをわたしが歩けば、次に続く者が歩く。そうして道はできる」

国の制度を守るお奉行様に「お前は道を誤った」と言われて返した言葉である。

 

おぉ!革命家だぁ!と期待したよ、わたし。

ところが、確かに彼は革命家ぽいけど、義賊に過ぎない。そして、朝廷での党派間の権力闘争に利用されているんだよねぇ。

そらも、ね、早送り、飛ばし、ですよ、わたし。嫌いなんだ、この手の話。

ガンガン、飛ばしまくったよ…。

 

でもって、一番上に書いた、桜吹雪のシーン。

チェオクは若様を守るためには、自分の右腕を切り落とされることも辞さないんだよ。

まぁ、若様に助けられけど、腕に切り傷ができた。

 

桜吹雪の中、若様は腕の傷を確かめて、布を巻くんだけど、こうやって言うんだよ…。

「痛いか…。俺も痛い。」

 

このセリフはわたしはたいして好きってわけじゃないけど、評判になったらしい、ネットによると。

つまり、「俺は死ぬほどお前が好きだ。お前が痛いと俺の心はもっと痛い」つう意味なんよ。

 

若様は、日本でいうところの町奉行の仕事についていて、お奉行様に可愛がられている。若様は、国一番の武将と言われるまでになっている。

チェオクは若様の部下、つうか、正確な身分は奉行所の使用人、だけど、女性の事件のときは、彼女が出向くシステム。チェオクはメッサ優秀な銭形平次みたいになっているんだ。

 

チェオクの少年のような凛々しさって、ね、惚れるよ。すごく良いんだ。

 

で、ね、チェオクは、強盗団を追うんだけど、そこで、兄と出会うんだ。

もちろん、二人は兄弟だってことを知らない。そして、惹かれあってしまう…。

 

チェオクは兄を逃す。

そのとき、若様の視線の先ですべての音がとまる。

彼の生まれて初めての嫉妬を…描いたシーン。

いいなぁ…良かったよ。ありきたりな表現でも必然的だと感じさせるものは良いんだなぁ。

 

この身動きが取れない身分制度の中で、チェオクってば、自立しているんだ…。

…それは、三人の愛の悲劇でもあったんだけど。

 

 

 2006年制作「ファン・ジニ

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ハ・ジウォン☝️

 

チェオクことハ・ジウォンに惚れたわたしは、続けて視聴。

このドラマ、早送りも飛ばしもしなかったよ。面白かった。

 

彼女は日本で言うところの芸妓。奴婢という身分。

彼女が踊るシーン。

彼女は、空気をまとうような、しっとりと柔らかな動きを持っている。

それがとても好きだった。


 彼女の初恋は16歳くらいの頃。18歳くらいの貴族の少年が彼女に恋い焦がれる。

妾にするならまだしも、彼は彼女を妻にするという。二人で逃げても見つかれば死罪になる。

少年の愚かな恋の信念はこうだ、

「真心で説得すればみんなに分かってもらえる」。

 

…しかし、だ。わたしはこの愚かさが愛しい。だって、この愚かしい真心、というものは、世の理(ことわり)の泣けてくるような根本ではないの?

 

死んでしまった少年の遺体を乗せた荷車が、娼館の前で動かなくなる。あぁ、この話、知っているなぁ、と思いながら、わたしは…号泣 すよ。 

 

その後、大人になった彼女は、二度目の恋をする。

あの少年のような、そしてもっと賢くしたような貴族の男と。 

 

この三人、少年、貴族の男、彼女は、ロマンチックラブによって、世の中の仕組みから飛び出す自由な心を持った男女なのだ。

 

しかし、

貴族の男に、彼女が言う。彼女は彼ではではなく仕事(芸)を選んだ。

「互いを抱きしめるかわりに、自分が心をくだく物事を抱きしめましょう」と。

 

二人が、亡くした子供を見送るために琴と笛を奏でる。二人の決別のシーンでもある。

そのとき、わたしは、未練心があふれてきて… 自分でも首を傾げてしまう。