キャロル続き

私をあんなに悲しませたその事について書いてみる。

f:id:knori:20180612013354j:plain

「キャロル」に出てくる男性たちは皆可愛い。

そこがこの物語の優れているところだと思う。

 

キャロルの夫も弁護士たちも、女性同士の愛を「女学校時代のお遊び」くらいにしか理解出来ない。その時代の常識人であり、その枠を超えることのできない人達であり、むしろ優しさを感じる。

 

決して、差別者としてキャロルたちに対立させていない。(ここがイイ)。

 

 

マイノリティが差別を受けたり、公平に扱われないとき、どうするか?

あなたが差別や屈辱を受けた時、どうする?

笑って大人としてやり過ごす?

 

これは、戦わなければならない。声を上げて戦わなければ、差別も(例えば、イジメだって)なくすことはできない。

 

けれど、ここには問題がある。

 

差別がなく公平な社会をあなたは望む?よほどのへそ曲がりでもない限り、公平な社会っていいな、と思うでしょ?(まあ、もちろん、理想論だけど)。

 

人種差別や性差別をなくすために戦う時、反対意見が必ず出てくる。

「仕事を奪われているのはこっちだ」「お茶汲みだって立派な仕事だ」等々。

 

この時、反対意見を「マジョリティ目線である」として糾弾すると、マイノリティとマジョリティという二項対立が生まれてしまう。

 

そ、根本は同じはずでしょ?公平な社会が良いのだから。

二項対立は不毛でしかない。

 

差別的な事象についてはきっちりと批判するべきだけど、その時に上がる声(反対意見)には、(そのバッググラウンドも考慮しながら)一つづつ丁寧に考える、もう、そういう時代が来ていると思う。

 

 あ、えっと、つまり、キャロルって映画は慎重に二項対立をさけているなあ、と思ったって、話です。

 

あ。えっと、わたしなんで悲しかったんだろ?ほんとを言えば自分でもよく理由がわからない。

…何もできないから…違うかな。

 

 

キャロル

正統派の純愛映画。

 

f:id:knori:20180623015659j:plain

 

 結構前に見た映画。

女性同士の愛の物語だったんだけど、「あれれ」と思いながら、結構、長いことそれを確信できなかったわたし。ぼけ。

 

お話は、

写真が趣味のテレーズ(ルーニー・マーラ)と夫と別居中で離婚調停中のお金持ちの中年女性キャロル(ケイト・ブランシェット)が出会い、恋に落ちるというもの。

 

f:id:knori:20180623015744j:plain

 

時代はファッションを見ても街並みを見ても古い時代、1950年代?

画質が荒くてTVでみるのは辛いけど、この映画に合っているんだろうなあ、と我慢。(まあ、画質にはすぐに慣れるけど) 

 

 離婚調停中に、キャロルは自分を偽るのをやめる(カミングアウト)。この時代にですよ!この勇気は愛の力だなあ。

そして何が欲しいのかわからないと言っていたテレーズは、恋の痛みが彼女をちょっと大人にしたようだ。

 

ラスト、二人の一瞬の表現と表情のすごさ。

 

肩にキャロルの手がそっと触れる。そのときテレーズの横顔が震えた。その一瞬の表現に(見ている私に)切なさが溢れ出る。「あぁ…まだ愛している」という馴染み深い切なさ。

 

テレーズを見つけたキャロルは、一瞬、泣きそうな表情を浮かべ嬉しそうに笑う。

 そして暗転。

 

見終わった後にぼんやりと悲しいのは、たぶんそれは、自分を偽るのをやめたキャロルのもろさが全開で、これからの危うい人生を彼女の表情と重ねてモーソーしてしまうから…。

 

(しばらく悲しくて、まいった。)

 

 

「フランス✖️ペルー」「アルゼンチン✖️クロアチア」

あかん、メッシが可哀想すぎて…。 

  

f:id:knori:20180622021707j:plain

 

 「フランス」✖️「ペルー」(1:0)

強いチームのロングカウンター、ハンパない速さ!

フランスのカウンターも早いなあ。

あと、カンテはんぱない。(ハンパない、使い過ぎ?)

 

 

「アルゼンチン」✖️「クロアチア」(0:3)

 

f:id:knori:20180622175246j:plain

 

 入場の時から、メッシはものすごく不安そうな顔してた。

彼は予感してたとしか思えない…。ああ、可哀想だ。

 

 アルゼンチンの中盤、弱かったわ。メッシだってどうにも出来ないよ。

 

 (わたし、悲しくて落ち込んでしまった)