ケスとハンナアーレント

 とってもとっても好きな映画。ケン・ローチ監督作品の中で一番!

 

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 わたしはランチの時にブログを読むことを楽しみにしています。

超有名な「ミセスGのブログ」「Gちゃんねる」を読んで触発されたりします。

で、昨日と同じ、触発されて書く前置きです。

 

若い頃のわたし達(友人達と私)はマッチョが嫌いでした。けれど、「女性的な男が好き」と言う私に対して友人達からは「それはあなただけ!」と言われたもんです。

でもってわたしは自分はもしかしてバイなのか?と疑い、親友を見つめて…想像して見ました…。うん。その結果思ったことは、やっぱ異性愛者だなあ、と。

 

 

どうでもよかったね。

さてさて、

 

むかーしに見た「ケス」というイギリス映画を思い出したのは、黒い牝牛を読んで泣いちゃったからです。

 

「ケス」は、孤独な少年が孤高の存在だと言われる鷹を調教するお話です。詩情溢れる大好きな映画です。孤立していた少年は最後は社会に埋もれていくことを選択します。

この映画に愛着がわく自分の感傷についてぼんやりと思っていて…で、以下、その事について書きます。以降は、大変情報不足でしっちゃかめっちゃか間違いだらけなので、面倒なことが嫌いだと読まない方がいいです。

 

 

 

もう1ヶ月ほど前にサッカードイツ代表選手だったエジル(トルコ系移民)が代表引退を表明しました。 彼はW杯の5日ほど前にトルコの大統領と会い写真を撮りました。それがドイツ国内で大騒ぎになり、ドイツに忠誠心がない、とか言われて、批判されました。そうゆう事件があったんです。

 

ポドルスキー選手が「君はマジカルだった」と言いましたが、ほんとに素晴らしい選手です。

 

エジルは…ツイッターで始めて自分の意見を公表しました。いわく、「自分には2つの魂がある。ドイツとトルコと。」そして自分は人種差別を受けていたと言いました。

 

わたしは、エジルに2つの魂があろうと7つの魂があろうとかまやしません。(念のため書いておきます)。

 

問題だなあ、と私が思ったのはエジルの発言は政治的な発言になってしまったからです。(もちろん、頭のいいドイツの政治家が事を上手く収拾したと思いますが)。

 

わたしは、むかーしハンナ・アーレントを読んだんですが、彼女はナチ(人間の悪)について徹底的に考えた哲学者です。

彼女によれば、国家はアイデンティティ(同一性)に依拠するのはダメだと言っていたはずです。

なぜなら、アイデンティティや人種差別といったものが国家を壊していくから、と。(それで分裂した国家って近年でもありましたよね)。

そしてその後に生まれるのが大衆社会です。思考停止状態の大衆が自由や平等を求めるその感傷は、ヒトラーのカリスマ性を持った理念の演説に、全体主義に、喝采を送ってしまうのだと。

 

 だから、いわば多様性を求めたエジルの発言は逆に多様性を殺しかねない、とわたしは思ったんです。

 

例えば、アメリカ合衆国は多様性国家です。しかし、元々が、多様な人種、多様なルーツを持つ者達の集まりで、それを合衆国憲法が一つの国家としてまとめあげているのだと思います(間違ってるかも)。

 

けれど、アメリカと違い大よその国は同一の人種が集まって作られたものが国家の基本になっているはず。

 

これは、ものすごく違うし、違ってくると思います。つまり、アメリカのように簡単に多様性国家なんて実現するのは難しいのじゃないかと思います。 元の基盤が違うのだから。

 

個々人の多様性を保証してくれるのは国家ですが、多様性は国家を壊しかねない。

で、アーレントがなんと言っているかというと、(違ってるかも)、政治に目を向けよ、思考停止になるな、と。

 

…思考停止のお前が言うなって言われそうだね、おまけにわたし、政治に関心ないし…。

 

 

スノーホワイト氷の王国

 うぅん、この映画のジャンル分けは難しい…。

 

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「男性の手が好き」 と言う女性って多いです。

(わたしが思うに)、それはとても性的な意味を持っています。

 身体が覚えている、皮膚が覚えている、あなたの手を…。です。

男性の手を見てドキンとしたあなたの脳の働きは、運動の伝達のように、目から入った情報が、思考や感情の無い皮膚や身体の記憶を呼び覚まし、信号が脳に飛び、直接心臓をドッキンさせます。(超絶いい加減です)。

 

あなたは全くなぜドキンとしたのかわかりません。

 

女性が「男の手が好き」と言うときは(皆、人前で堂々と言ってますが)、ほぼ、性的な妄想はありません。

 

 

 

(……)さて、

 

「氷の王国」ですが、シャーリーズ・セロンが指先を伸ばしピースに触れるあたりから、チャステインが死ぬあたりまで、すごく良かったです。

 

チャステインめっちゃ短い出番やな、彼女って、映像の雰囲気を支配するんだなあ、とか思いながら見ていると、7年間たっていました。

 

7年後のソーはコメディっぽい感じでやっていて、わたし、実はソーさんは「マイティソーの3」で始めて、あれ、感じ良いじゃん、と思ったんです。(1と2では、どこがいいのかわからなかった)。

 

チャステインは生きてました。で、この映画がファンタジーであるなら、

ソーさんはチャステインとの絡みで彼女の力強さをことごとく軽く受け流していましたが、セロンとエミリー・ブラントはチャステインに合わせることができるはずで、ソーさんじゃない違う人がソーさんの役をやっていたのなら、締まった映画になったかもしれません。

 

もしくは、この映画が、コメディファンタジーなら、

とても感じがいいソーさんと、現にラストのセロンは喜劇的に見えなくもないし、そうなるとダメなのは、チャステインとエミリー・ブラントってことに。(書いてて笑っちゃった)。独り笑い。

 

あ、そそ、チャステインはどうして最後まで氷の女王に怒ったようななんとも言えない顔してたんだろう、と思って、よく考えたら、ソーが女の子に言ってたのよね、「しかめっ面をしていると女王に気持ちを悟られない」って。

いやあ、チャステインって真面目だわあ。(xoxoxo)

 

氷のCG?VFX?綺麗だった。

わたしは、この映画、とっても楽しみました。

 

 

ナイスガイズ

ライアン・ゴズリング出演のコメディアクション映画。

 

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時々「ブラック・ミラー」を見ているんですが、これはブラックユーモアで、わたしには…毒を食らうようなもんです。

 わたしは…ブラックユーモアが分からないんですねえ。ユーモアとブラックユーモアの境い目もよくわからないわぁ。(過激なものがブラックユーモア?)

 

 安部公房が「女の子がご主人様にびたんびたんと叩かれている。これを笑うのがユーモアだ」とか…とかとかとか(うろ覚え)言ってたと思うけど、わたしはユーモアが理解できないのか?

 

でも、確か、処刑されに歩いている死刑囚が光の差し込んでいる窓を見て、「今日は良い日だなあ」と言ったと。

わたしは、あらあ、こんなユーモアのある人を殺しちゃうなんてもったいないなあ、とそれを読んだとき、思ったし、まるっきりユーモアが理解できないわけではない…ね?

きっと、ユーモアって、すごくドライに見る、じゃないな、距離感?諦観?客観的?

いやあ、やっぱりイギリスってかアイルランド(発祥?)のユーモアは到底わたしにはわからない。

 

…まっ、ね、わたしにはファースがお似合いでしょ、と。

 

というわけで、「ナイスガイズ」です。

 

ゴズリングがバスターキートンみたいな情けない顔するんです。もうめっちゃ笑えます!そして間の取り方!もうめっちゃ可笑しい!

コメディやってた頃のトムハンクスはチャップリン型の目をキョトンとさせるやつで、ずっと最高だと思ってきたけど、ゴズリングのやり方もものすごく面白いです。

 

 しっかり者の娘とラッセル・クロウの3人のコンビ、また見たいよおおおお!