ウルグアイ✖️日本代表

びっくりした!

 

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悔しがるカバーニ

 

 NMD(中島、南野、堂安)が、ウルグアイを相手に躍動するなんて誰も予想していなかった!

古株の吉田選手や長友選手が「正直、驚いている」っつてるくらいなんだ。

試合前のライターたちは軒並み「大事なのは結果ではなく、どういう可能性のある戦いを見せれるか?」みたいな説教調だったからね。

みんなひっくり返った。

 

(大迫が強豪相手でもやれるのはわかっていた)、NMDプラス大迫選手のカルテットは、ウルグアイを撃沈したっ!

 

 

この世界の片隅に、その2

昨日の続きです。 

 

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スズは身を乗り出すようにして手を振っています。遠くに見えるスズの両親と妹も手を振っています。結婚式が済んだのでスズを残して彼らは帰っていきます。

 

(結婚式の最中、スズの夫になる周作が、膝の上でギュウッと拳を握りしめていて、「え…」と思ったんだけど、無事、2人は結ばれました。手帳の四角い切り後も意味深に写っていました。これらは、実はリンさんのカットされたエピソードに繋がるはずだったんだそうです。)

 

次の日の朝、5時、スズは朝ごはんの支度をしています。とても可愛いんです。

つまり、スズは、結婚の意味するところを完全に理解していました。

結婚は、家政婦としての仕事、子供を産むことなのである、と。彼女は屈託なく、いそいそと食事を作っています。

 

現代女性とスズの間に大きな断絶があります。

 現代女性にこの状況はちょっと耐えられないと思います、つうか、わたしなら、泣きながら、両親の後を追っかけますね。嫌だ!って。(心細さで死にそうになると思う。)

見も知らぬ夫になる男とその見も知らぬ家族。そこに一人放り出されるんですよ。18歳の小娘が。

 

つまり、これは昔の女の子の成長の通過儀礼だったんだなと思いました。(通過儀礼という言葉を使っていいかどうか定かじゃない)。ともかく、女の子はこうやって大人になっていったわけです。

 

これはわたしの印象にすぎませんけど、スズたち、女性陣が、強いはずです。ものすごく過酷なやり方だったと思いませんか?

 

で、現代の女の子はどういう通過儀礼があるのか?(大雑把ですみません)。

たぶん、就職ですよね…?

 

 

 あと、これだけは言っておかねば。

この映画の絵柄が大好きです!

(一回しか見れてないので、どういうシーンか言えませんが)、要所要所、大事なシーンの絵がものすごく洗練されています!詩情豊な表現でした。

 

 

 

この世界の片隅に

片渕須直(監督、脚本)。こうの史代(原作)。

 

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火垂るの墓」以来、可哀想なのは見たくない、と思っていて、先延ばしにしていたのを、ついに見た。傑作でした。

 

片渕須直監督は、ジブリ出身なんですねえ。 なんでも「魔女の宅急便」の監督をやることになっていたけど、スポンサーが宮崎監督じゃないと金を出さないと言ったとかで、監督を降りたらしい。その後、ジブリを辞め、TVアニメの「名犬ラッシー」「BLACK LAGOON」などで、活躍。アニメ映画「マイマイ新子と千年の魔法」を撮っています。

 

この世界の片隅に」を撮ることになったときも、十分な実績があるのに、金が集まらなくて苦労したらしい。宮崎駿の次のアニメ作家を待ち望む声が多いけど、もしかしたら潜在的にはいるのかもしれない。ただ、お金がなくて、映画を撮るところにまで浮上できず、潰れていってるのかもしれない、と、ちょっと思ったです。

 

片渕監督は、考証の鬼でして、この映画も6、7年かけています。(どんだけ細かい事にまでこだわったのかは、ネットであちこち出ています)、例えば、空襲で味方が応戦して大砲など撃つけど、その時空にボン、ボン、雲の塊みたいなのが出来る、と。それが綺麗なんです。色とりどりで。で、これは事実であると。どの戦艦が撃ったのか分かるように、煙に色をつけていたそうで、当時の人の日記にも綺麗だった、とかあるそうです。

 

 

この映画は、戦争が始まる直前から終わるまでのスズという女の子の日々の暮らしを描いたものです。

市井の人々の暮らしに強大な力で戦争の暴力が徐々に侵犯してきます。しかし、映画が焦点を当てているのは、スズ、及び周りの人々の日常です。

 

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日々の暮らしとはなんでしょう?

それはある意味、「生」 そのものかもしれません。食べること、眠ること、そうしたことがままならない程の事態をスズたちは、淡々と過ごしていきます。

 しかし、戦争は、スズからかけがえの無いものを奪っていきます。映画はスズがそうした悲劇から立ち直っていく様ははっきりとは描いていませんが、それを十分、予感させるエンドールの様子などがあります。 

 

わたしは、この映画の後、「マイマイ新子の千年の魔法」を見ました。

この映画の最後、新子とキイ子は茎の様なもので草笛の様な音を出し合います。ああ、こうして元気よく終わるんだな、そう思った次の瞬間、千年前の新子とキイ子が土手に並んで腰掛けている後ろ姿、そして2人は草笛を吹きあっています。一瞬の映像でしたが、涙があふれました。

 この映画は、一千年前もおなじような子供達がおなじような日々を暮らしていた、そういうファンタジーを交えながら、現在の子供達が元気よく日々を過ごしている様が描かれています。

つまり、ディオニュソス的生の讃歌です。生の肯定です。

 

わたしの涙は、感傷だろうと思います。なぜなら、「この世界の片隅に」の余韻があったから。「この世界の片隅に」は、わたしがまともに心を凝らしてみれば、発狂しそうになる事態が描かれています。刈谷さんちのこととか、スズとはるみちゃんのこととか。

けれど、スズたちは困難な日々を受け入れ、肯定しています。力強いのです。

 

 

 [人間の偉大さを言い表すための私の定式は運命愛である。すなわち、何事によらず現にそれがあるのとは違ったふうのあり方であってほしいなどとは決して思わないこと、前に向かっても、後ろに向かっても、永劫にわたって絶対に。必然的なものを耐え忍ぶだけでなく、いわんやそれを隠すのではなく──理想主義というものはすべて必然的なものを偽り隠す嘘だ──、そうではなくて、必然的なものを愛すること…ニーチェ

 

自分の情けなさを思うとともに、この映画はかなり危険な綱渡りをしている、と思いました。