籠の中の乙女

 ヨルゴス・ランティモス監督。2009年ギリシャ映画。原題は「犬歯」。

 

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 悪夢のような映画…。権威的なオヤジが息子に刃物で切りつけられて、その夜に見た悪夢つうような風情…。もっともこの映画のような権威的な男はたとえ子供から反逆されてもこのような夢は見ないだろうけど。

 

結構な年齢の男子(長男)と姉妹の3人が一歩も家の敷地内から出ることなく、一切の情報も遮断された状態で教育されている。子供ら(マジ、いい大人)は、犬歯が生え変わったら、外に出ていいことになっている…。(生え変わらないわ!)

 

久々に、同一化も共感もなく、かなり冷静に見た映画。(なにによって阻まれたのかわからない)。カメラワークはかなり好きで、誰かを思い出すような(といっても、ついこの間まで、監督を意識してこなかったので、絶対誰なのかを思い出すことはない)。

 

この映画は、なんらかのルールや権力行使を疑え、己の権力を省みろ、というような明確なメッセージがある。もっと言えば、「わたしが世界であるならば、わたしは世界を越境できない」的な、ペシミスティックな考えも漂う。

しかし、映画を見ること=同一化される限りにおいては、どんなちっぽけな映画であっても、広がりがある。100人見れば、100通りの広がりがある。

この映画は感情移入を阻むので、底が浅い、くなってしまうだろうとわたしは思う。たぶん、観客のわたしも映画の作り手なのだ。

 

おまけに、過剰だ、どうだ!こんくらいやっても目が開かないかい?みたいな過剰さ。観客をバカにしてんのかと思ったけど、ロッキー、ジョーズフラッシュダンスというハリウッドに対するラヴコールが出てきたので、過剰さは監督の野望だったのかしらん、とおもう。この過剰さって不快だった、すっごく。

 

が、時間が経つと、映像の美しさ(一部除く)だけが残ったんだけど。

 

「聖なる鹿殺し」みるかどうか迷ってたけど、追い詰めらる話しがすごく苦手だし、やっぱ見ない。 

 

 

 

f:id:knori:20181026185435j:plainウチの子になって十数時間後

f:id:knori:20181026185037j:plain大人になった。

 

 この子はこのブログを始める数ヶ月前に死んじゃいました。

 

 

Rがカラスに狙われているドロッドロなこの子を拾ってきました。さっそく、シャンプーして(イテテイテ、こら、噛みつかない!)綺麗にして獣医さんの所に。

そうして落ち着いたところが上の写真です。

 

彼女はこんなチビッコのくせしてわたしの足首に噛み付くという癖がありました。Rにも息子にもそんな事はしません。「猫の行動心理学」といった類の本を2冊ほど買って読んだところ、なんでも猫にも階級意識があって、足首に噛みつかれるというような対象者は、最下層であると、猫は認識している、とありました。

ふむ……むむ…。

まあ、たぶん、わたしが思うに、彼女の世話をしているのがわたしだけだからじゃないかなあ、と。犬なんかは、世話をしていつも一緒にいて可愛がっている者ではなくて、躾けをする者を我が御主人さまと認識するし。

半年くらいしょっちゅう狙われましたけど、やらなくなりました。(ありがたい。かなり痛いです)。

 

ある日、猫にリードをつけて散歩してる人を見て、さっそく試してみたところ、(室内飼いにしていたので、ちょっと外に連れて行ってやりたいという思いがありました)、彼女はわたしの先に立って歩いて行きます。(意外と、足音って大きな音がするって知ってました?)、コツ、ズリッ。彼女は、キッと振り向いてわたしを批判します。

そうして彼女は10分間ほどかけて、10センチほど進みました…。

 

あきらめました。彼女もホッとしてました。もう外は怖かったんでしょう。

 

癌だったんですが、彼女はわたしの腕に抱かれて、そうして死にました。 

 

 

 

マダム・メドラー

ローリーン・スカファリア監督、2015年作

 

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ランチを食べながら友人が言った。「私の母がね、姪っ子にヌードを描かせたのよ」 。彼女の姪っ子は画学生だ。

「ふんふん、お母さん、沢山おこずかいあげたんだ」

「まあそうだけど、ポイントはっ!母自身がっ!裸になったの」

私は、彼女のお母さんが大好きで、なるほど、そういう考えられんことを思いつく人で、素敵な人なんだ。わたしが大笑いしていると、彼女いわく、完成したから来い、と言われて行ったら、居間に畳2畳分くらいのどでかいヌードの絵がでデーンと置かれていたらしい。

家族の熱く激しい説得により絵は寝室に飾られることになったそうなんだ。

 

 …ということで、本題です。

 

この映画をローズ・バーン主演と思って見始めたら、なんと、おばあちゃん役のスーザン・サランドが主演でした!

 

マーニー(スーザン)は夫と娘のロリ(ローズ)の3人家族だったんだけど、1、2年前に夫を亡くしています。それで、30過ぎの脚本家である娘の側に引っ越してきてあれやこれやと世話を焼こうとします。

 

そういうマーニー母さんの日々を追いかけるようにして撮っている平凡な映画ですが、なぜか、マーニーを見る娘の視線を感じます。娘がストーリーテラー役をやっているわけじゃないのに。どこか娘目線のヘンテコでユーモラスな夢物語、そんな感じです。

実際、ロリは自分の家族をモデルにした映画を撮っていて劇中劇としてちょっことでてきます。自己言及的なこともこの映画はちょこっとやってます。

 

母娘の関係もなかなか味わい深いです。マーニーのお節介に切れたロリが「境界線を引きましょう!」と言うもんだから、少し涙声のマーニーが「わかったわ」っつって、出て行き、ロリは罪悪感に襲われオロオロする、綱引きの様な関係です。

 

ロリの妊娠検査キットの騒動は二人につられて大笑いしました。ロリとアーニーのやり取りがイイのに、ちょっとしか出てきません。

ラスト、亡くなった父が恋しいね、とロリが泣くシーンが好きでした。