ジャン=マルク・ヴァレ監督。2015年作。ジェイク・ギレンホール、ナオミ・ワッツ主演。
ネタバレします!
デイヴィスとカレンは海を見ています。「妻は海が好きだった」とデイヴィスが呟くと、妻のまぼろしが彼の前を横切りました。
彼は妻を亡くしただけじゃなく、完全に彼女を見失っていることにようやく気がつくのです。
その時の音楽がこれだったと思うんですが、確かじゃない。
この映画は、交通事故で妻ジュリアを失ったデイヴィスが、まったく悲しみを感じる事ができず、原題(デモリション)通り、解体(破壊)を繰り返し、最終的には前進する事ができるようになる、そんなお話です。
車中のデイヴィスと妻。妻は皮肉を言い、夫は心ここに在らずです。彼は今ではエリートですが、彼の上司である社長が妻の父親で、彼は環境も習慣も違う女性と結婚したわけです。
彼は妻の葬式で(手持ち無沙汰になって)自販機の会社に苦情の手紙を書きます。これが、妻との出会いから始まって、悲しめないことなど、ながーい手紙なんです。
これに興味を持った苦情係のカレンが…いや、これがよく考えると常軌を逸しているんだけど、彼の後を付けて、大麻を吸って、夜中の2時に彼に電話したという…。(映画だし、都合よくカレンは美人)二人は知り合いになります。なんというか、恋だの愛だのではなく、お互いが必要という感じです。
特にカレンの息子のクリスにとってはデイヴィスとの出会いはラッキーでした。クリスは彼に出会わなければ転落の人生をたどったかもしれません。
この映画はデイヴィス自身がメタファーメタファー言ってるくらいでまあ、メタファーに満ちていると思います。(アメリカ映画ってかアメリカ人ってメタファーが好きですよね?この前のドラマでも高校生がドラマ内で映画を見た後、議論してるんです「あのメタファーはぁ」「あれはメタファーよ」とか。)
でもって、デイヴィスの解体はついに自宅にまで及びます。
カレンがこの家に入った時、「女性にとっての夢の家ね」と言います。デイヴィスはポカンとしてているので、自宅は妻が心を込めてしつらえたものでしょう。妻のジュリアが入念に選んだろう絵画や写真、小物、キッチン、食卓テーブル、ソファ、その広い部屋は妻そのものです。彼は寝室は壊しませんでしたが、叩き潰しました。すべて。
これは確かにメタファーです。あのキッチンやダイニングは妻の属する文化を象徴するもので、彼はそれを粉々に解体したのです。
しかし、わたしには、奥さんの思い出、奥さんそのものをぶっこわしたように思えて。愕然としました…。
唯一、寝室で壊したものは妻の瀟洒な机。そこから彼女の中絶の証拠が見つかりまっす。彼は少しばかりシャンとなって妻の実家に出向き、そこで義母から妻に男がいたこと、中絶したのはその男の子供だったことを聞かされます。
彼は妻のお墓の前で、「お前をないがしろにしてきたが、少しでもその男のお陰でお前が幸せになれたのなら良かった」と言います。
そして車に乗り込んだ時、彼は妻のポストイットをみつけます。(彼女はポストイットにメモを書く癖がある)。
それは車のサンバイザーの裏に貼ってあったものです。
「雨なら私を見ないわね、もし晴れなら、あなたはわたしに気がつくわ」
このお茶目なメモを読んで彼は泣き出しました。彼は思い出したのです、妻の茶目っ気のある数々の出来事を。
彼女は空港でボードを持ってにこやかに彼を出迎えました。「ミスター・シーホース」と書かれています。
彼女はまた彼にタツノオトシゴの飾りがついたスプーンもプレゼントしていました。
彼女は思案げな夫を見て笑っていました。
そのタツノオトシゴというのは「僕には関係ない」とか「家庭を顧みない」」とかそいう意味の歌やアニメらしいです。
だから、「雨なら私を見ないわね、もし晴れなら、あなたはわたしに気がつくわ」というメモは…「わたしを見て」といううったえです。彼女はずっと彼に言ってきたのです「わたしを見て」と。
彼はやっと歩き出す事ができました。彼は自分と育った環境の近いカレン親子とくらしていくことになるのでしょう。
ラスト、彼は伸びやかに埠頭を走ります。笑顔です。