インスタント・ファミリー

気がつけば中年になっていた。

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 ☝️ピートとエリーは、家をリフォームして転売する事業を手がけている。

 

この夫婦は、善意と多少のノリの良さから、里親制度に登録する。なにせ、ピートは、「家の修繕が僕らは得意だろ?子供達の状況を少しでも改善する手伝いができるんじゃないか」と、言うのだ。

 

 そうして始まるこの物語は、笑って泣けるコメディ!

ふかちゃんの映画評を見たわたしは、早速見た。

もうめっちゃ面白かった。

 

ショーン・アンダース監督、脚本。 2018年。

マーク・ウォールバーグローズ・バーン

 

ピートとエリーの夫婦は、3人の子供の里親になる。

涙と笑いの奮戦記。

 

 

里親講習会でえげつない夢を語る女性に余計なことを口走ってしまったエリーは

何とかしようとして、女性の車に追いすがる。妙に面白い。

 

何故だか、「昼下がりの情事」ってオードリーヘプバーンとクーパーの名シーンを思い出してしまった。

動きだす乗り物に乗っている人物と、置いてかれる人物とのやり取りは、映画ならではだし、かの名シーンは映画人たちにインプリントされ、手を替え品を替え再生され続けるんだ、とエリーのように余計なことをおもってみた。

 

 

そして結局、3人の里子を預かることになった夫婦は、彼らとなんとか信頼関係を築き上げようと頑張り、面白可笑しいけど、その困難さが印象に残る。

この印象には、何がしかの啓蒙要素がある。

  

ところで、妻の様子をうかがうピートがわたしのツボであった!

夫って人種はこれをよくやると思うんだけど、つまり、妻の様子を見て、自分の出方を決める。上手くやろうとしているのか良くはわからないが、わたしはいつもこれが面白い。

女にはない発想だと思う。

…違うかな?

 

 

年はとっても喧嘩の腕は一流さ

ついに「クロワッサンが食べたいね」とRが言い出した。 冬が来るなぁ、と私は思う。

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(去年の写真。餡を入れたクロワッサンとチョコケーキ。)

 

夏は庭仕事でクッタクタ。汗がダラッダラでドロドロで、泥のかたまりなんだか、わたしなんだか、あっち向いてホイだ。

だから菓子、パン作りは冬場にしかやれない。し、オーブンも使いたくない。

 

 昨日、携帯を買い替えにショップに行った。

「もう、買い替えなきゃね。」とRが言ったのだ。

買い物袋をどっこいしょと持って帰ってきたわたしに、「見せて」とRが言うから、

「ないの。10月3日に商品が入るんだって」とこたえた。

 

そっからである。わたしは馬鹿にされ怒られた。なんとRは消費税が上がることを考慮していた。

 

Rの意地悪そうな顔!

めっちゃ傷ついて、困った。

ともかくわたしを馬鹿にするのが好きな人である。

Rなんか⭕️⭕️⭕️だぁぁぁぁぁ!ばーか。

 

 

コホン。(-.-)

よくドラマで見るのだが、「本当のわたしの姿を愛して」ってやつ。

あれが、いつもわたしは分からない。

もしかしたら、「あなたの理想を押し付けないで」ということなのかもしない。

それなら、そう言えよ、と思う。

また、もしかしたら、「ダメなところも全部、抱きとめて」っということかもしれない。図々しい女だ、と思う。

 他の人に自分の全てをさらけ出して堂々としていられるなら、もはや無敵の存在である。

 

第一、「本当の自分」なんてものがわたしにはない。

わたしはただここに居るだけである。

 

 

 

  Rよ、👊ファーックファーックシェットガッデムアスホーーーーーーール!

 

ライ麦畑の反逆児、ひとりぼっちのサリンジャー

ハミルトンの『サリンジャーをつかまえて』までは読んだのよ。 

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 むかーし、若いわたしはサリンジャーに、コテッとなって、つまり『ライ麦畑でつかまえて』を読んだときは、皮肉と瑞々しい文体の魅力に恋したもんです。

その頃は、サローヤンも好きだったけど、サリンジャーの場合、彼自身が前面に出てくるんですよねぇ。

 

 そうして、なんと彼は、誰も寄せ付けず、謎に包まれた作家として紹介されていました。

 

だから

イアン・ハミルトンの「サリンジャーをつかまえて』を読んだってことは、2000年くらいまではまだ彼の謎に関心があったってことです。

 それ以降は、彼の娘が辛辣な『我が父サリンジャー』を出したことも、この映画の原作本『サリンジャー生涯91年の真実』が出たことも知りませんでした。

 

 

 そして、この伝記映画をみて、ようやっと彼の謎について得心がいったわけです。

 

ダニー・ストロング監督、脚本。2017年。

ニコラス・ホルトケヴィン・スペイシー

 

J・Dサリンジャーは小説『ライ麦畑でつかまえて』を発表した。同書は世界的ベストセラーとなったが、やがて、彼は隠遁者のような生活を送るようになった。

 

 この映画はテレビ映画のような作りでした。

それでもとても楽しみました。

 

ニコラス・ホルトサリンジャー役で、彼の小説家としての才能を見出し、世に送り出したのがケヴィン・スペイシー演じるウィット教授です。

 

 ホルト演じるキャラは戦争に行った頃あたりからやっと魅力的になります。それまではしょうがないのでスペイシーばっかり見てました。彼のことはべつに好きな役者ではないのに、とても惹きつけられる不思議な役者さんです。

 

妻を連れて田舎に引きこもったサリンジャーは、ある事をきっかけに人付き合いが全く無くなります。

 

少し赤みを帯びた顔、優しさを表に出せない、ホルトはそんな顔をしました。

それは、赤ん坊を抱えた妻が泣き叫びながら、「私は一人ぼっちよ!」とサリンジャーに言ったからです。

しかし、そこに呆然として突っ立ているサリンジャーはもっと一人ぼっちなのです。

 

ラストのサリンジャーのモノローグが、食卓を囲む笑顔の妻と子供たちに背を向ける彼のシーンを呼び出します。

 

「夫、父親、友のなりかたが分からない…。」

「僕は作家にしかなれない。」

ノローグと結びついた食卓のシーンサリンジャーの不幸と家族の不幸をそれぞれに浮かび上がらせました。

 

 もう一つ、印象に残ったシーンがありました。

戦争から戻ったサリンジャーは深刻なPTSDを患っており、ウィット教授がサリンジャーの短編集の出版に失敗した事を報告するのですが、サリンジャーは怒って飛び出します。

 

このシーンもラストで回収されますが、映画の肝となる伏線と回収なのです。

 

ひょんな事でサリンジャーに会いに来たウィット教授、

彼の鋭い頭脳は、サリンジャーの小説について全てをわかっていました。

けれど、彼の関心はサリンジャーの小説にだけあるのです。サリンジャーその人に全く関心がないのです。

 

それが、2人の邂逅のシーンで明らかになります。

 

その当時、国は、戦争による深刻なPTSDの帰還兵たちをなおざりに診たあと、放ったらかしにしたのです。国のトップたちに深刻な事態だという認識はあっても、たぶん、人数が多過ぎて、きちんとした対応が不可能だったことも一因じゃないかと思います。

 だから、PTSDに対する理解は、社会に広まっていなかった時代です。

 

美しい緑の林の中を、ウィット教授はトボトボと去っていきます。サリンジャーはその後ろ姿に声をかけようとしますが思いとどまりました。

ウィット教授は、自分の悩み事で頭がいっぱいなのです。 

 

 サリンジャーPTSDで頭が狂いかねないほど苦しんでいることに全く無関心なウィット教授の後ろ姿に、帰還兵たちの苦しみに無関心だった社会が透けて見えてきます。

 

できれば、真っ向からそれらを描いたものが見たかったなぁ。