ハミルトンの『サリンジャーをつかまえて』までは読んだのよ。
むかーし、若いわたしはサリンジャーに、コテッとなって、つまり『ライ麦畑でつかまえて』を読んだときは、皮肉と瑞々しい文体の魅力に恋したもんです。
その頃は、サローヤンも好きだったけど、サリンジャーの場合、彼自身が前面に出てくるんですよねぇ。
そうして、なんと彼は、誰も寄せ付けず、謎に包まれた作家として紹介されていました。
だから
イアン・ハミルトンの「サリンジャーをつかまえて』を読んだってことは、2000年くらいまではまだ彼の謎に関心があったってことです。
それ以降は、彼の娘が辛辣な『我が父サリンジャー』を出したことも、この映画の原作本『サリンジャー生涯91年の真実』が出たことも知りませんでした。
そして、この伝記映画をみて、ようやっと彼の謎について得心がいったわけです。
ダニー・ストロング監督、脚本。2017年。
J・Dサリンジャーは小説『ライ麦畑でつかまえて』を発表した。同書は世界的ベストセラーとなったが、やがて、彼は隠遁者のような生活を送るようになった。
この映画はテレビ映画のような作りでした。
それでもとても楽しみました。
ニコラス・ホルトがサリンジャー役で、彼の小説家としての才能を見出し、世に送り出したのがケヴィン・スペイシー演じるウィット教授です。
ホルト演じるキャラは戦争に行った頃あたりからやっと魅力的になります。それまではしょうがないのでスペイシーばっかり見てました。彼のことはべつに好きな役者ではないのに、とても惹きつけられる不思議な役者さんです。
妻を連れて田舎に引きこもったサリンジャーは、ある事をきっかけに人付き合いが全く無くなります。
少し赤みを帯びた顔、優しさを表に出せない、ホルトはそんな顔をしました。
それは、赤ん坊を抱えた妻が泣き叫びながら、「私は一人ぼっちよ!」とサリンジャーに言ったからです。
しかし、そこに呆然として突っ立ているサリンジャーはもっと一人ぼっちなのです。
ラストのサリンジャーのモノローグが、食卓を囲む笑顔の妻と子供たちに背を向ける彼のシーンを呼び出します。
「夫、父親、友のなりかたが分からない…。」
「僕は作家にしかなれない。」
モノローグと結びついた食卓のシーンはサリンジャーの不幸と家族の不幸をそれぞれに浮かび上がらせました。
もう一つ、印象に残ったシーンがありました。
戦争から戻ったサリンジャーは深刻なPTSDを患っており、ウィット教授がサリンジャーの短編集の出版に失敗した事を報告するのですが、サリンジャーは怒って飛び出します。
このシーンもラストで回収されますが、映画の肝となる伏線と回収なのです。
ひょんな事でサリンジャーに会いに来たウィット教授、
彼の鋭い頭脳は、サリンジャーの小説について全てをわかっていました。
けれど、彼の関心はサリンジャーの小説にだけあるのです。サリンジャーその人に全く関心がないのです。
それが、2人の邂逅のシーンで明らかになります。
その当時、国は、戦争による深刻なPTSDの帰還兵たちをなおざりに診たあと、放ったらかしにしたのです。国のトップたちに深刻な事態だという認識はあっても、たぶん、人数が多過ぎて、きちんとした対応が不可能だったことも一因じゃないかと思います。
だから、PTSDに対する理解は、社会に広まっていなかった時代です。
美しい緑の林の中を、ウィット教授はトボトボと去っていきます。サリンジャーはその後ろ姿に声をかけようとしますが思いとどまりました。
ウィット教授は、自分の悩み事で頭がいっぱいなのです。
サリンジャーがPTSDで頭が狂いかねないほど苦しんでいることに全く無関心なウィット教授の後ろ姿に、帰還兵たちの苦しみに無関心だった社会が透けて見えてきます。
できれば、真っ向からそれらを描いたものが見たかったなぁ。