モティの目覚め

 僕の人生にはレールがひかれている。僕はユダヤ人だから。

いまの焦燥感は、認知的不協和ってものだ。 心理学を勉強しているヨッシに教えてもらった。

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僕はローラに恋してる。

それが、不協和の原因だ。

 

 トーマス・マイヤー原作、制作。2018年、スイス映画

ジョエル・バズマン。

 

ユダヤ人女性との結婚を母親にせっつかれ、うんざりしていたモティだが、クラスメートのローラに恋をしていた…。

 

ちょっぴり自虐的、というか、ウディ・アレン的な何か…。映画の中で主人公のモティはウディアレンに似ていると言われる。

 

わたしは、もうもう最初からモティが好きで可愛くて、おまけに上質で知的なコメディ映画だった、をとっても楽しんだ。 

 

非常にユダヤ的な青年が……、「ユダヤ的な青年」でわたしのイメージを理解する人は多分ひとりもいない。(よくわたしはコメラン等を見て何の説明が足りていないのか、ようやっと気付く。)

つまり、ユダヤ人は小さいときタルムードとか聖典?を勉強するらしいのだが、そのせいか彼らは言語能力が高く論理的だというイメージをわたしは持っているのだ。

だから、非常にユダヤ的な青年が、レールを踏み越え、成長さえするのだが、青年はやはりユダヤ的なのだ。そういう映画だったよ。

 

母親はラビに呆れ怒っている。「もう、ラビを替えるわ!!」と言う母親に「どうして?神はおんなじだ。一人だ。」と天を指差すラビ。

ここがめっちゃ可笑しかった。\( ˆoˆ )/

 

 ラスト、モティの複雑な表情が映る。その余韻にわたしの想いが漂いだす。

なんていうか、戒律だの慣習だのレールだの、そんなことは案外上っ面のことであって、大事なもの、本質はそこには無いんだ。

まぁ、そんな事を思った。

 

 

シークレット・オブ・モンスターへわたしのクレーム

手入れが行き届かない屋敷、曇り空の下の風景、1900年代の衣装風俗、全てが、詩情豊かだった。

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ブラディ・コーベット監督、脚本。サルトル『一指導者の幼年時代』原作。2015年。

トム・スウィート。

 

1918年。ヴェルサイユ条約締結を目的にフランスに送り込まれた米政府高官。 彼には、神への深い信仰心をもつ妻と、まるで少女のように美しい息子がいた。 しかし、その少年は終始何かに不満を抱えていた…。Amazon

 

わたしが愛してやまない映画評論ブロガーたちが某所コメ欄で「映画に対する批判精神の欠如はよろしくない」と語り合っていた。

なるほど。では一つわたしも頑張ろうと思ってはみるが、わたしはだいたいは好きになった映画の感想を書く。例えば欠点を感じていても好きだぁ、と思った映画の感想だ。直近では「移動都市モータルエンジン」という映画がそうだ。

この映画については、欠点の原因を子供向け原作にある、としてみた。なにせ光るところがあったし、何よりCGが素晴らしいんだ。本当に好きな映画。

だから、

主人公のクソガキの男の子が出てくるたびに首を締めたくなるとか、素人目にもこの編集はくそだろう、とか、つまり、美しい画を生かすためにはその前後のシーンとのつながりがどれだけ大事なのかとか、つまり、息をのむ美しいショットって流れの中で生まれるんじゃないのかいっ!とか、そんなことは微塵も書いていない。…匂わせたかも。

そして、

まぁわたしは、どうしたって好きな映画が悪し様に言われれば、飛んでって弁護したくなるわけさ。あほだけど。

 

脱線したというか、ねぇ…

…この映画もねぇ…映像がとっても好みだったんだ。何というか、脚本も映像の展開も上手いなあ、って感じるけど、欠点がある。

わたしは知識教養に欠ける人間だよ。そのわたしが物申すんだけど、この映画のラスト、そこへの繋がりの悪さはどうしたもんだろう。むかしサルトルは読んだ。すべてコロンと忘れてるが。しかし、監督は読んでないだろ?と思うよ。

「人間は自由の刑に処せられている」ってのは、たぶん、人間は自由であるので、自分の責任において自分になる事ができる、なりたい自分になることができる、って事を言ってるんだと思う。つまり、それは生半可のことではないはずで、それを自由の刑に処せれれている、と言った。サルトルは一世を風靡したんだけど、やっぱ元気が出る事を言ったわけ。けれど、環境が人間に与える影響についてなおざりすぎるという批判が出てきて、下火になった。ということがあったんだ。

 

ところがこの映画は、アメリカの外交官か何かの父親と、そして母といっしょに3、4ヶ月フランスで暮らした、そのときの男の子の風景を切り取った映画なんだ。

言葉がわからない子供を教会の日曜学校か何かに放り込むし、母親は、子供にあまり構わないし、かといってきっちりナニーがいるわけでもない、構われない子供なんだ。

そうやって周りの影響を見せていく。これって、原作の意図からでっかく外れてるしょ!つうか、サルトルが否定したいものだよね。

そもそも、この子供は柔らかな殻とかでは全くなくて、ニヤついて、小石を人に投げつける悪ガキなんだ。

 

で色々ぽこぽこあって、ラスト。

成長した彼は独裁者になったらしい。それも歴史上の色んな悪名高い独裁者のごった混ぜ。

映画の美しさがすべて台無しになったよ、この瞬間、わたしには。

 

 

花に話しかける女

 冬の足音がしている。今日は雨だが…。

 

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左上の写真だけは初秋のもの。今日の庭には雨が降っている。裏庭はすっかり茶色。もうすぐ、この上に雪が降る…。

 

すでに最低気温はマイナス3、4度になることも多いのに、寒さに強い品種のバラが去年同様、蕾を付けている。可哀想で、去年は、夕方には新聞紙で覆ったり、ビニールをかけたりした。

そうやってやっとある暖かい日に花は咲いた。いびつで不完全な花だった。

今年は、黙って見ている…。

 …くそぉ、まだ赤い。ちっこい赤い蕾が2個、頑張っている。

 

「ねぇ、今年も蕾がついてるの」

「知ってるよ」

「見てないしょ!」

「花に話してる声が聞こえるから」

「……」(๑╹ω╹๑ )