グリーン・デスティニー、飛ぶしかなかった

 グリーンデスティニーをNetflixで見た。20年前に見た時は、気がつかなかった。

これ、武侠ものだったんだなぁ。

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アン・リー監督、2000年

 チャン・ツィイー

 

 ラストでチャンツィイーが飛ぶ。昔、わたしは「しょうがないよね、悪いこといっぱいしたし」と、思ったんだ。

 

でも、今みると、そったら、「わたしのせいで」みたいな、甘ったるい罪悪感ではなくて、任侠のほんとうの入り口を彼女は見つけたんだなぁ…。

 倫理的な光を見てしまった以上、もう、少女は、飛ぶしかなかったんだわぁ。

 伝説のように、少女が生き残れたかどうかは分からない。崖を飛んだ少女の顔がアップになって、映画は終わる。素晴らしかった。

 

この映画には、3人の武術家が出てくる。

少女の師匠は、師父を殺し、秘伝書を盗み、破門された武術家で、身分を偽って少女を育てていた。

その悪人に指導を受けた少女は、もうもうたまらないほどねじくれた才能ある不良少女。

少女役、チャンツィイーの顔は、暴れ回ればまわるほど、薄汚れていく。青い春の真っ只中で、もがいていた。

 巻き込まれた武術家の男と女は、不良少女を放っておけず何とか導こうとする。

 

なんせ少女の悪師匠は、「自由な剣士になりたいのでしょう?一緒に逃げましょう。退屈なんってしない、楽しく暮らせる」そういうことを少女に吹き込む。

少女にしてみれば、悪師匠以外の大人は、権力者にしか見えない。大人なんて分かってくれない、と思っている。

 

武術家の男と女は、自由の裏には仁義がある、そうした任侠の体現者であるのだが、少女は、全く信用してくれない。

子供は、分かってくれないのである。

 

2021年のネットには、「グリーンデスティニーは内容がなく、薄っぺらい映画だ」という感想がたくさん出ていた。

 

 

チェンクンの陰陽師

「ぎゃぉぉぉぉん」とばかりにわたしの身体は、融けた。チェンクンのしたたる色気に。

ベッドカバーのように薄く広がった内臓をよっこらしょと、ようやく戻したのだった。

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Netflix  2021年、中国映画、リー・ウェイラン監督。

チェン・クン、ジョウ・シュン主演。

 

「この映画は、マーベルスタジオ製作」と言いたくなるほどで、原作の「陰陽師 」とは別物。

日本の「陰陽師」を原案にしたゲームが中国で作られ、更にそれを原案にして作られた映画。

VFXを駆使した妖怪がたくさん出ている。

「ビーストと魔法使いの旅」的な、「ドクターストレンジ」的な、そっち系のファンタジー 映画である。

 

 「ガーディアンズ オブギャラクシー」では、ロケットのモーションキャプチャをやった役者さんまで有名になった。

この映画の妖怪たちに、そこまでのキャラ立ちは、ない

 

その妖怪たちと博雅役の役者さんが、延々、中盤過ぎまで引っ張った。チェンクンの出番が少ない、、、退屈だったぉ。

博雅はストーリーテラー的な役割で、彼の動きで、人間の国と妖怪の国の全貌が見えてくる。のだが、彼の魅力はさっぱり見えてこない。

出番は少ないが、花のある二人、チェンクン(晴明)とジョウ・シュン(幼馴染)は主役に見える。

 陳情令のシャオジャンが博雅だったら、どうだったかな、と妄想した。もしらしたら、主役は、晴明と博雅だね、ってなってたかもなぁ。

 

 しかし、中盤以降は素晴らしかった!!

チェンクンの覚醒!つおい!かっこぇ!

彼の見得を切る、ような感じは心が踊る。

 

雪女のビジュアルは美しかった。瞳の薄い青が絶品!

ただ、彼女は身のこなしに難がある。

 

二つの世界に君臨しようとするラスボスに向かってチェンクンは言い放つ。

「お前は、万物に対する慈しみがない。そんな者に統治の資格はない」と。

 

私は、こういう優れた者が統治する、貴族制?って言っていいのかしら、に惹かれるんだよなぁ。

貴族制は民主主義の反対語のひとつかと思うけど、有象無象の利権争奪戦よりかは、最良の人たちの判断が大事である、と。ちょっと思うの。