ベルベット・バズソー、波打ち際の芸術

 ダン・ギルロイ脚本監督。ジェイク・ギレンホール

 Netflix2019年

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 やなぎちゃんのレビューを待ってたんだけど、あがってこーへんし、いっこだけとっても好きだー!って吼えたいとこがあるので、書くよ。

 

 この映画はわたしの独断と偏見によれば、ホラーテイストの陰に隠れた、作家の密やかな、うんにゃ、大胆な復讐だね。批評家や利益優先のプロデューサーたちに対する…。

まあ、批評されて嬉しい作家なんていやしない。アーティストと観客とビジネスは、三角関係?!^_^

 

 

舞台は、アート界。画廊や美術館や個展会場を舞台に批評家や画商たちの思惑が入り乱れまっす!

 

 さすがに舞台美術が見ていて気持ちがいいです。オシャレな空間がいっぱい。

 

レンホールはバイセクシャルの有名批評家役。彼はこの役を軽々と乗りこなしてます。なんつうか、はじめて、彼、すてきだあ(はあと)って思った…。

ジェイク、好きです!今まで、ギョロ目なんて思っててごめんなさい。

 

それで、この映画はホラー風味だし、人が無残にゴロゴロ死ぬけど、怖くないから!心やさしき女性たち!

もうもうカタルシスだらけ。(๑・̑◡・̑๑)

 

右端のおっさんピアースは実力のある芸術家。

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このピアースがエンディングで波打ち際にぐるぐるぐるぐる線を描いているんだ。

 カメラが真上に引いて全景が見える。

 

う、美しい!(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)❣️

 

海の色、に透けて見える模様、

波、

濡れた砂の色、

端の方に色が違う小石のようなもの、

 

すき!めちゃんこ好き!

 

ピアースが去っていきます。パフォーマンスアートのように、この美しい線は、まもなく波が消していくでしょう。 

 

 

 

僕のエリ、凍りつく指先

トーマス・アルフレッドソン監督。 ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト原作、脚本。出演カーレ・へーデブラント、リーナ・レアンデション。2008年。

 

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トーマス・アルフレッドソン監督のスウェーデン映画。 

これは吸血鬼の映画です。

 

ストックホルムに住む12歳の少年オスカーとエリという少女の出会いのお話し。

 

 オープニングがイカしてます。黒い画面に流れる白色の名前を見ていると、横半分に夜の雪が舞い始めます。

目眩がしてくるような本物の雪です。

 

 

金髪のオスカー少年とエリ 

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 雪に覆われた住宅地と学校が舞台なのですが、寒々しい雪景色が、子供たちの凍りついた心を表現していきます。

エリの愛は、流れる毒々しい赤色の血、という対比。それが哀しい。

 

祇園の姉妹」という映画があります。

ラスト、雪が舞い散るんですが、素晴らしいんです!

なんていうか、映像というものが勝利した瞬間?

 

「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」と書かれていようが、名曲が歌われようが、小説や音楽が惹起する人の想像力に祇園の雪は勝利します。

 

が、この映画の雪の映像は、リアルに徹することによって、リアルな現代の一風景を映し出します。

北国の人が持っているだろう雪のイメージ、感覚がそのまま映し出されていました。

 

あくまで現実的な雪景色と吸血鬼…この対比がオスカーやエリの凍てつく心象風景を補完します。(北国じゃない人はどう見たんでしょうねえ?)

 

 

エリの瞳は美しいんです。クローズアップされる彼女の曖昧な色の目、グレーに見えたりブルーがかって見えたり…誘惑の瞳そのもの。

 

 

 オスカーオスカー、ああ、オスカー!

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オスカーはわかっていたはずです。エリのおじさんがどういう存在だったのか。

 

血のついた唇でエリはキスをしました。

「私を受け入れて…」

 

 

 

虐待とおせっかいな人

TVで虐待のニュースが流れている。 

 

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20年くらい前かなぁ…盛んに「家庭・家族」が島宇宙になってきている、みたいな話があった。 

昔の家屋は縁側があり、近所の人が立ち寄っておしゃべりしたり、垣根越しに挨拶したりしたもんだ、と。

それが、家族はどんどん密室、閉鎖的空間になって孤立してきているのだ、と。

虐待の報告が増えているのは、市民に報告の義務が課せれた、というのもあるにしても、昔だったら…近所のおばちゃんや顔見知り程度の人たちが助けたり、教えたり、子供を預かったりして、ことなきを得ていたケースも…もしかしたら多かったのじゃないかなぁ、と想像した。

 

わたしは虐待のニュースが流れるとTVを消していた。胸のあたりがおかしくなるから。

でも、猫pさんが記事を書かれて、うーん。ついにわたしは、ネットで虐待のニュースを読みまくったわけで。

 

nkobi1121.hatenablog.com

 

児童相談所というところがどう機能しているのかわたしは全く知らなくて。

ウロウロしていて湯浅さんの記事をみつけた。

 

news.yahoo.co.jpj

 

 とても印象的だったのは、今、権限が強くなった児相は

 

 「子どもの安全を図るための職権保護など、「相談機関」というよりも「保護という行政処分を行う機関」という色合いが濃くなっている」

 

という箇所。

かつての福祉的アプローチが減ってきているらしい。

 

「 悩みながらも思い通りに子育てできない親御さんたちのいら立ちに寄り添うというアプローチからは遠ざかってしまっているとも感じています。」

 

つまり、危険な虐待、ではなく、軽度の虐待、軽度という言い方はおかしいかもしれないけど、えっと、わたしが言いたいのは、

 

昔のパターンですが

「ちょいと、お前さん、何やってんだい?雅代、雅代、きとくれ。

この坊やを連れて行って、ご飯食べさせな。」

「さあ。訳を話してごらんよ。」

…みたいな近所の人…がいれば、ことなきを得たかもしれない、って。ね?

どう思う?

 

なんていうか、若い混乱しているママに、周りの大人たちは信用していいんだ、と。信じて頼っていいんだ、と、わからせたい、わたしはそう思う。

もちろん、若いママは心に問題を抱えているかもしれず、そういう時は、保健師さんが定期的に訪問して、ケアする、と。

 

こうしたことがかなわなくなっている今、わたしは猫pさんがおっしゃる「相談員」のアイディアは面白いとおもうし、また、私は、後ずさるんじゃなくて、声かけをやってみようと思う。

 

ここに、心愛ちゃんを虐待した父親のような人は入っていない。

彼は、DV男だし、アメドラなんかだと、彼のような人は家族から引き離されて治療を受けるよねえ?おまけに、大の大人たちが縮み上がるほどの恫喝だったってんだから。もういやだ、そんな男。

 

 児相に勤めていた人の報告もありました。

 

anond.hatelabo.jp

 

 

 こうした問題は、放っておくと大きな格差を生む。

深刻な格差は、経済を弱体化する、と、えっと、どっかの国際的組織が警告している。

ほっておけない問題なんだよ。