がっでむ、自己肯定

わたしは自分が嫌いだった。嫌いだった、ときがあった。

 

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 自分の体験に基づいて書くのだけど、間違いだらけかもしれない。

これは、そういうお話。

 

誰それは、「自分を持っている」、よく聞くでしょ?

この「自分がある」ってことは、アイデンティティのことだと思う。

アイデンティティ(自己同一性)が無いとどうなるか?

それはもう、決められないし、選べない。自分が無いのだから。

 

わたしは、このアイデンティティが粉々に砕け散った、ときがある。

わたしのイメージで言ってしまえば、自己像にくっつけてきた、価値観とかスキルとか、うまく言えないけど、いろんなものがバラバラと落ちた感じ。

 

時間をかけながら、少しずつ少しずつ、自己像を組み立て直す。変化した何かが加わることもあるだろうし、何かを捨てることもあるだろう。

 

だから、こいうときの自己肯定感なんて、ゼッロ。ゼロどころか地獄であがいている。

それでも少しずつ少しずつ足場が出来て、でも時たま、あ。来るかも、なじみ深い苦しさが。という予感があったりする。けどここまで来ると、随分、楽になっている。

 

ところで、なんでアイデンティティが崩れたかというと、それは、たぶん、家族や学校や仕事、社会、等の何かと葛藤を起こして、持ちこたえられなかったから。だと思う。

 

だから、自己肯定感がゼロだ、なんてのは壊れた自己像の結果、または葛藤の結果、生じたので、もういちど、なんらかの関係の中で、再獲得していかなければならない。

これはね、意外に思うかもだけど、一歩踏み出すことさえできれば、もうそれだけでいいんだよ。

人って、信頼に足る存在なんだ。わたしはそう思う。

 

今、わたしはちゃんと自分が好きだけど、知らない間にこうなってた。

 

 わたし、自己肯定だとか、どうでもいいと思うんだ。ついでに言えば、承認欲求も。

うーん。ネットでこれらの言葉の扱われ方に違和感があるというか、なんかすごくへん!うまく言えないけど…。

 

ただ、原因に拘ることもできない。だって原因って本当のところは多分よく分からない。

原因というものは物語なんだと思う。原因を語っているつもりでも、それは多分、物語っている。

 

案外、民話とか神話とかって、人の普遍的な葛藤から生まれてきたのじゃない?まあ、物語って必要なんだと思う。

 

 

 

コネチカットにさよならを

ニコール・ホロフセナー監督。2018年。出演、ベン・メンデルソーン

 

 Netflix

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画面を止めて確認した。

あ。やっぱり映画なのか。TVドラマかと思った。

 

この監督は、小説を見せていくように、ストーリーを紡いで映画を撮った。

ただ、ラストだけは、何を思ったのか、亀の水槽が美しくて、それを見つめる男のショットも印象的だった。

 

主題はともかく役者の熱演はともかく、このまま忘れてしまう、安い映画のはずだったんだけど、めっちゃ強烈なある感想を抱いたのでそれを書かずにはいられない…。

 

 

 あらすじ

50代半ばで仕事も妻も捨て、新しい人生を歩み始めたアンドレス。だが、バラバラになった人生を立て直したい男の幸せ探しの道のりは、山あり谷ありの連続だった

 

 

 

 50代半ばで離婚した男と、その元妻。

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この離婚した男は、デートをして、数人の女と寝る。

 

でっ。(・ ・)ね、

 

人は、年をとると、若い時とスタイルはあまり変わらなくても、何が違うって、皮膚がまるっきり違ってくる。

真珠色の光は肌から失われて、瑞々しさも、ピッカピーカなハリも、緩んでくる。

 

この映画では、そういう二人がベッドにいるわけ。

 

数千年分のショック!をおいらは受けた…。

 

しかし、あのですね、よく思い直してみると、

例えば、わたしは19才のRを知っている。彼も19才のわたしを知っている。

ピッカピカの一年生の時の記憶がある。

その記憶は、優しさなのかな、と思う。

 

あなたの手が触れ、わたしの手が触れる。

視線に記憶が落ち、記憶が見つめる。

 

 

 つう、部分なしにぃ、映画の男女は、一から始めるわけ!

 これは大変だな、と…。

 

 

わたしは(Rが死んだら)、一人がいいな。友人もいるし。

それで十分だな。

 

 

 

Year One、紀元1年が、こんなんだったら!?

ハロルド・ライミス監督、脚本。2009年。出演ジャック・ブラックマイケル・セラジュノー・テンプル

 

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ライミス監督って「赤ちゃんはトップレディがお好き」 (1987年)を作った人なんだあ!もうもうめっちゃくちゃあの映画好きだった💕!

 

やっぱね、ハマるわけよね。「Year  One」がめっさツボ!楽しかったー💞! 

 

 

 あらすじ

古代人の村で暮らすお調子者のゼドと気の弱いオーのダメ男2人組。ある日、ゼドは自分をのけ者にする仲間たちを見返すため、絶対に口にしてはならない「禁断の果実」を食べてしまう。これをきっかけに村を追放されてしまったゼドは、オーと一緒に放浪の旅に出るが……。com

 

 

 

 左からオー(マイケル・セラ)と真ん中ゼド(ジャック・ブラック)です。

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 ゼドという名前は、Zのことだと思うので、最低最悪、そんな意味だと思うけど、ブラックにぴったし!

 

彼のせいで狩に失敗して村に戻ってくると、野原でイチゴを積んでいる少女がいて可愛いの。こう、動作に品がある。

 

一番上の写真のシーンになるまで、わたしは、彼女が男(オー)である事に気がつかなかった!

 

オーを演じているセラは、なよなよしているわけではなくて、こう、全身が映るショットのとき、足を閉じているのね、これがとても可愛らしいの!

 

セラ、すんごく可愛い!!

 

ブラックのせわしないお喋りに、茫洋としたセラ。…ああ、もうすんごく可笑しい。 

 

ある日、ブラックは禁断の果実を食べちゃう!

蛇はセラに巻きつくし。

 

つまり、脚本は、聖書の創世記をパロディってる。

わたしの受けた印象では、ただ、 ユーモアのためで、批判とかはないよな、と思ったけど、メタフィクションということを思うと、「皆さん、創世記はフィクションでしょ!」というなんらかの意志はあるのかなあ、という感じ。

 

わたしは、ただ面白いだけだなんだけど、どうなんかなあ、キリスト教圏の人にとっては。

 

でもって、村を追い出された二人は、カインとアベルに遭遇するし、人類初の殺しも目撃するしw、カインの刻印ときたら…笑ちゃう。「わたしは、弟の監視者なのですか」つうセリフも言ってたわぁw。

 

イサクとアブラハムにも会う。

 

で、そこで、ソドムとゴモラの事を聞くわけ。

当然、ソドムに行くんだけどね。

 

 

 捕まってセラ(金色)は奴隷になる。

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二人は、「ソドムの罪」と戦い、すったもんだのちょいスリル満点のあと、別々の道を選択するんだけど。

抱き合うシーンが可愛かった。 

 

 そうね…神の言う事を聞かなくて、楽園をおんだされても、自分たちでなんとかしちゃったんだもんね、ムカつく人はいたのかもねえ。