「キングダム」「ミッドナイト・ランナー」

大沢たかお、カッコえぇわぁ…ポカンとして「ウフンな大沢たかおを見ていたわたしである。

 

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 戦う長澤まさみ☝️

長澤まさみのビジュアルがイイ!表情もイカしてた!

 

 漫画原作のこの映画は frikandelさんのレビューに惹かれて見た!

 面白かったよ!

アクションが嫌いなわたしでも、アクションを楽しんだよ。

 

吉沢亮の雰囲気もとても良かった。

クールな吉沢亮👇

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ただ…主役のシンが時々ウザイ。

 例えば、

敵にやられてうずくまったピーンチなシンの脳裏に親友の最後が浮かぶ。

「連れて行ってくれ、お前の夢の舞台に」みたいな。

そしてシンは起き上がり、思いっきり青春に向かって吠え喚く…。

う・ざ・い。

フラッシュバックで親友の最後のシーンを出しているのだから、一言二言、低い声で呟いて、敵に再び立ち向かう、って描写で充分じゃない?

 

 彼は、強い相手と戦いながら、強くなっていく、只者ではない凄みを持った人物、という設定なんだな、と思わせるシーンがあった。(彼はそうは見えない)。

 重要な設定だと思うんだけど、でも演出は「夢がぁ!」という喚く台詞だらけ…。

少年向けだからなのかね?

 

 

 

 「ミッドナイト・ランナー」、韓国映画。2017年。

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 左から相棒とソジュン☝️

 

ソジュンは、頭の悪い行動派の警察大学の学生。相棒は頭脳派。

試験で捜査の三箇条とはみたいな問題がでて、ソジュンは頭を捻って「情熱、根性…」みたいなことを書く。

 頭脳明晰な相棒はもちろん、法律用語、専門用語満載の「犯行における、何たらかんたら」みたいな模範解答。 

でも、ソジュンの方が本質を見抜いているところがある。

 

 犯人たちと戦うことを決めた二人は講義にギンギラに萌えて臨みます👇

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短いワンショットに過ぎないけど、印象的。ユーモラスなんだけど、二人が勉強の意義を見出した瞬間なの。

 

若者に対する教訓は、台詞ではなく、キッチリ、出来事やストーリーで見せる。

 

喧嘩殺法みたいなアクション満載の映画で、男の子の好物じゃないかと思った。

 エンディングロールの後に、ちょいとしたエピソードが写る。

そだそだ、はじめ二人はナンパ目的だったんだもんなぁ、とほのぼの笑う。

 

 

 

検察の罪人

 「キムタクは何をやってもキムタク」ってね、どうよ?って思うんだ。

 

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 つまり、ネットの感想集に、「キムタクは何をやってもキムタク」っていっぱい書いてあったんだ。

わたしは、それの何が問題なのか分からない。

 

Amazon 

原田眞人監督、2018年。

木村拓哉二宮和也吉高由里子

 

ヘアースタイル、メイク、小道具等で、雰囲気をガラッと変えて演じる役者さんがいる。今はこちらの方法が主流なのかな。

でもって、キムタクは、木村拓哉としての個性を消さずに演じる。

そこにはいつも木村拓哉がいる。けど、わたしの心に何かを残す演技をする。大事なのは、そこだろうと思う。

 

今回、彼は、検事なんだけど、時効になった事件のある意味、被害者としての妄執みたいなものを見せていく。

思うに、検事というのは、「悪」を裁きにかける訳で、モチベーションがあるとするなら、それは、被害者の苦しみ、それこそ魂の痛み、を見ているということではないかとわたしなどは思う。

ところが、検事の仕事は法や世論に縛られ、ほとんど駆け引きに明けくれるハメになるのかもしれない。

 

だから、被害者としての妄執を持っているキムタク検事は、殺人者を追い詰めようとするが、法に阻まれる。つまり、証拠がない。

 

そういったお話を、キムタク検事はまあ、とんでもないこともするんだが、それも、映画が壊れかねない安っぽい出来事の展開で、それに対して木村拓哉という役者は、リアルに説得力を持たせていた。何つうか、アナーキーな自己責任として完結させるんだよねぇ。

 

ラスト、ニノはヨタヨタと歩いていく。そして彼は叫ぶんだが、それは、キムタクに屈服したってことなんだ。

全く今時の若者であるニノ検事としては、そうなるしかないよなぁ、とわたしなどは思ったよ。

 

あと、吉高さんが得体の知れない女だった。

ホントにニノ検事を好きなのか、利用するつもりなのか、最後まで分からない女だった。

印象的だったよ。

 

 

赤いペディキュアの予感

 どうしたって赤色が似合わない。

 

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夏になるし、赤いペディキュアをしたい。

でもわたしは似合わない。

そこでっ、得意なはずの水色、ピンクを爪に交互に塗った。片足の完成。

Rがウロウロしている…。

「どっちの足がイイ?」と聞いてみた。

「ん。こっち。」

Rは何も色がついてない足を指差した。

 

…うぅ。予感はしてた。

 

#

 

昔わたしは、韓国の映像界がすごくなる、と予感していた。

 

今は、もし「新しい映画」というものが生まれるなら中国からだろうと思っている。

3、4歳の頃からだと思う、母とよく映画館に行った。

今でも覚えているのは、二人の人物が話しているシーン。遠景のシーンから、ひとりずつ、交互にアップになった。

それは会話シーンのお約束、映画の文法。それが幼いわたしにはすごく違和感があって、不思議だった。だって、いきなり、観客の視線から片方の人物の視線に交互に切り替わるんだよ。変だと思わない?ま、ね。それを覚えている。

 

今わたしは、映画の文法に慣らされているけど、それは絶対的なものではないだろうと思う。

中国映画界がハリウッドや世界基準といったものに毒されず…、例えば、そうすんと、人材の宝庫のような中国で、お父さんやお母さんと一緒に見ていた中国ドラマ、お姉さんに連れて行ってもっらた中国映画、そういうものを見て育った世代から天才が現れてくる…。

\( ˆoˆ )/わーい。

 

 

ま、ね。赤いペディキュアの予感だし。