検察の罪人

 「キムタクは何をやってもキムタク」ってね、どうよ?って思うんだ。

 

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 つまり、ネットの感想集に、「キムタクは何をやってもキムタク」っていっぱい書いてあったんだ。

わたしは、それの何が問題なのか分からない。

 

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原田眞人監督、2018年。

木村拓哉二宮和也吉高由里子

 

ヘアースタイル、メイク、小道具等で、雰囲気をガラッと変えて演じる役者さんがいる。今はこちらの方法が主流なのかな。

でもって、キムタクは、木村拓哉としての個性を消さずに演じる。

そこにはいつも木村拓哉がいる。けど、わたしの心に何かを残す演技をする。大事なのは、そこだろうと思う。

 

今回、彼は、検事なんだけど、時効になった事件のある意味、被害者としての妄執みたいなものを見せていく。

思うに、検事というのは、「悪」を裁きにかける訳で、モチベーションがあるとするなら、それは、被害者の苦しみ、それこそ魂の痛み、を見ているということではないかとわたしなどは思う。

ところが、検事の仕事は法や世論に縛られ、ほとんど駆け引きに明けくれるハメになるのかもしれない。

 

だから、被害者としての妄執を持っているキムタク検事は、殺人者を追い詰めようとするが、法に阻まれる。つまり、証拠がない。

 

そういったお話を、キムタク検事はまあ、とんでもないこともするんだが、それも、映画が壊れかねない安っぽい出来事の展開で、それに対して木村拓哉という役者は、リアルに説得力を持たせていた。何つうか、アナーキーな自己責任として完結させるんだよねぇ。

 

ラスト、ニノはヨタヨタと歩いていく。そして彼は叫ぶんだが、それは、キムタクに屈服したってことなんだ。

全く今時の若者であるニノ検事としては、そうなるしかないよなぁ、とわたしなどは思ったよ。

 

あと、吉高さんが得体の知れない女だった。

ホントにニノ検事を好きなのか、利用するつもりなのか、最後まで分からない女だった。

印象的だったよ。