「ヒッチコック/トリュフォー」(Netflix)というドキュメンタリーを見ていたら、ヒッチコックは、「めまい」は屍姦の映画だ、と言った。
わーい、普通、見るよね? 「めまい」。
昔、赤ん坊を小脇に抱え、レンタル屋の名作コーナーをあさって、棚にあるヒッチコックは全部見たさ。殆ど覚えていない。
でも、意外にも綺麗なシーンの映像は随分覚えてたわぁ。まったく古くない!(すごくね?ヒッチコック)
お話は、
スコッティが大学時代の友人から不安定な妻マデリンの様子を見てくれ、と頼まれる。マデリンのあとをつけていたスコティはいつしか彼女に恋をして…というものです。
スコティーーーーーージェームズ・スチュアート
マデリン/ジュディーーキム・ノヴァク
ミッジーーーーーーーバーバラ・ベル・ゲデス
⬇️若い頃のキム・ノヴァク
マデリンに瓜二つのジュディとスコッティの出会いは現実なのか?
スコティの退院を匂わせる描写がないこと、尼さんの反応がおかしいこと、彼の妄想といえなくもない…。
いずれにしても、スコッティはジュディにマデリンの髪色、スタイルを押し付け、マデリンの姿かたちに執着しているわけで、生身の女を愛してはいない。
けれど、病院で女友達のミッジが言う。
「あなたのお母さんはここにいるわよ」
このシーンのおかげで、ヒッチコック自身の妄執のようなものがどこまでこの物語に反映されているのか、気になってしまう。
例えば、ヒッチコックは美しい女優に執着するようになった。しかし彼は、女優が演じた役、虚飾の虜になったのだと認識する。
自分に寄り添ってくれる(子供の)母親、友人としての妻もいる…。
ラストシーンで、無いものを愛したスコッティは罰せられる。
スコッティ(全てを知っている者としてのヒッチコック)の恋はとても立ち直れないほどの苦しい恋である。
ジュディの登場以降のわたしの胸の痛みは、ジュディに対する同情だとばかり思っていたけど、正体はスコッティの苦しみに呼応させられた痛みだったんだなぁ。