ホラー映画と恐怖とわたし

一部のホラー映画を見ることができない、のはどうしてなのか? 

 

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北海道で起きた地震のため停電が続きました。まいった。トイレも使えなくなった。

停電した時の為にという説明書を読むと、電源を抜いて(ほー、停電してるのに?)、横のカバーを開けダイヤルを回して手動で排水せよと。でもって、その後、ダイヤルを元に戻しバケツで水をためろと。(くそー、断水してないのに…。)

 

ネットにも当然ながら繋げないので、懐中電灯🔦で本を読んでました。

 

 

ということで、本題にいきます。

私は、スプラッターものがダメです。(「ウォーキングデッド」は本当に頑張りました)。

どんなに面白そうでも、見ることを諦めるホラー映画がでてきます。

 

 映画(全般)を見るとき、私に何が起きているのか?

 

映像が綴る物語を見ながら、登場人物たちの言葉を聞き(見て)、音楽は私に寄り添い、一人か二人の人物に同化するでしょう。

 

この時、登場人物にほぼ同化して映画を見ている私は、のめり込んでいる、という状態です。そして、たぶん、わたしは、居ません…。

 

映画を見ている私はいますが、わたしは居ません。

強いて言えば、そこにいるのは映画の登場人物の精神、映像の物語に乗っ取られたわたしです。

 (本を読んでいる時ものめり込んで周りが見えなくなるタイプですが、耳がシャットダウンされ、字面のイメージの世界に入り込んでいますが、わたしは居ます。)

 

ね?そうでしょ?(他の精神の中を漂っている私には、その時、(主体的な)わたしはいない、と言えると思います)

 

だから、ある意味で、この状態である程度までのホラー映画を見ることができる私は、恐怖に強い!ということになります。(えへん)。

 

「映像と音と、それらが作り出す精神」の中を歩く。わたしにとってはそれが映画を見ることです。

 

(密かに思っているんだけど)、恐怖に見舞われながらも自分を見失わないで映画を見る人がいるじゃないですか? 頭が良いんだと思うの。単なる感だけど。

 

 

え?もっと大きい声で言って。

「お前は、もともと確固たるわたしを持っていなんじゃないか?」

…ふむ。ふふふふふふふふむ。

「……。」