ジム・ジャームッシュ監督脚本。 2013年。出演トム・ヒドルストン、ティルダ・スウィントン、アントン・イェルチン。
イヴ(ティルダ)とアダム(ロキ)の吸血鬼夫婦
ジャームッシュ監督によるオタク愛全開、吸血鬼夫婦の災難のお話です。
イヴは老いた文筆家クリストファーに、夫に逢いに行くと告げます。
「そうか。あの時、彼に出会っていれば、ハムレットの良いモデルになったのにのぉ。」
と、たぶん、マーロウは言いました。彼は、もしかしたらシェークスピアの一人ではないかという説がある、クリストファー・マーロウです。
イヴは彼をキットなんて呼んでいるので、もしかしたらクリストファーの友達とされている人物かもしれません。まあ、わたしと同じくらい映画でもここら辺はいい加減だろうと思います。(なにせ、誰も本当のところはわからないんだから)。
夫の(ハムレットならぬ)アダムは…さすがに、鬱々としており、不機嫌で、偉そうで、…甘ったれた感じがもうむっちゃんこ可愛い!!
ここら辺から、なんとも言えない可笑しみ、が湧いてきます。
アダムはパンピーをゾンビなどと呼んで唾棄しておりますが、使いっ走りのパンピーであるアントン(アントンが出てるんですよーぉ!可愛いです!)には、怒鳴り散らしたりもするんだけど、言いすぎた時は、なんと!弁明したりします…。たぶん、アントンを気に入ってるんでしょう…。
ここら辺りは、もう音楽関係のオタク的知識の宝庫だとおもいますけど、わたしには何もわかりません。
その後も、ジョイス、ゲーテ、フィッツジェラルドやらの小説の主人公の名前やら、映画のシーンの引用も多々ありそうです。
イヴの妹(吸血鬼)と人間のアントン
そそ、いうのを忘れていましたが、冒頭のシーンが印象的です。
部屋がきったなーい!ものすごく散らかっていてごっちゃごっちゃで薄暗くて1分たりとも居られないような場所に、アダムとイヴだけが美しく浮いてます。
アダムが何やら苦悩しているゾンビだらけの今日の社会と、彼らの汚ったねー部屋のイメージが、重なってきます。
何やら監督は、この映画で盛んにイメージをペタンと折り返して重ねているようなところがあります。
クリストファーのシーンとハムレットばりのアダムしかり、あと、監督のオタク愛がこの二人に投影されているならば…この二人は、えらい災難に合います…。笑
イヴの妹が訪ねてくるのですが、二人の迷惑そうな顔を尻目に妹はあっけらかんと言い放ちます。
「100年?も前のこと、まだおこってるのぉ!?」
このシーンも二人の災難に折り重なります。
緩んだ弦のように生きている二人は、ごちゃごちゃの背景(=ゾンビども)の中を漂い、死にそうな目にあいます。笑
えらい目にあっている二人
2箇所、動物が出てきます。イヴがその都度、高貴な微笑みを浮かべて、わたしとしては、え、吸血鬼って動物に嫌われているんちゃう?と不思議でしたけど、このイメージも、最後の最後に折り合わせられちゃいました。
イヴの獣性が出た瞬間の映像と重なります。
イヴの貴族的な佇まいもここに極まる、 マル、って感じで終わります。
なんていうか、監督のオタク愛はレコード盤のように丸く閉じています。
それはイメージ同士が折り曲げられて重なるからかもしれません。
緩んだ弦(二人の人生)が切れて、ゆるく丸まってしまいます。
レディプレイヤー1の突き抜けた感じとは、大違いのオタク愛でした。
あ、ティルダはロキより20歳年上なんですねえ。
で、この映画の全てをティルダが支配していました。彼女の映画でした。