TVを止めたわたしは換気扇の下でタバコを吸ってからコーヒーを飲んだ。
私はこのシーンにすごく興奮していたのだ。
老子が実在の人物だろうがなかろうが、この二人の出会いを想像した事がある人は多いだろう。
わたしは老子が言っていることを理解できなかったが、ひとつ、面白いと思ったこと。
老子は「礼とは形がないことだ」と言った。
なるほど、老子って…自由主義的なんだね。型を拒否する彼の言葉は、心を解きはなして、自由自在に飛び跳ねる。
2011年。
チュウ・ガンリーヤオ、ダン・ハオ、ユエン・ウェンカン、ジョウ・イーウエイ。
(もっともわたしは字幕で見ていたので、あまり確信はない。なにせ、中国語ってコスパが高い、つうか、漢字4個くらいで、日本語訳は二行くらいになったりするよね。でも、とても簡潔な字幕だったのよ。)
この「孔子春秋」というTVドラマは、孔子の人間性を一生懸命あぶり出そうとしている、というか、めっさ力作!
(たぶん、論語、春秋、史記やらを下敷きに、脚色してあると思うが)、物語は、魯という小国に、三人の傑出した若者が誕生したことから始まる。
それは、孔子、 少正卯、陽虎 。彼らは卑しい生まれで幼なじみという設定。
子供時代の彼らは、親たちが働いている仕事場を駆け回り、悪戯をし、盗みもやらかし、そして、恋もする。
大人になった陽虎は豪胆。少正卯は鋭利な頭脳の持ち主。
で、孔子は、何を考えているのか分からない感じでみんなから愚鈍と言われている…。
👇陽虎と少正卯
👇そして孔子
春秋時代という300年続いた戦国時代での生き様をこの三人を軸に語っていきます。
(ちなみに孔子が生まれた紀元前511年頃は、日本でいうと縄文時代。
弥生時代に入る頃、かな?)
陽虎と少正卯は、現代ならば、出世しただろうなぁ、という優れた若者たち。
そして肝心の孔子は、愚鈍愚鈍言われながらも、仕事ぶりを見るにつけ、切れ者ぶりが少しずつ描かれていく…。
陽虎と少正卯は狂言回し的な役割で、実は現代にも通じる、共感すら抱ける若者たちで、孔子の異質さを浮き彫りにしている。
後半、彼らの役割を引き継ぐのが、孔子の弟子、子貢。
孔子曰く、「一国を納めることが出来る。しかし、頭が良すぎて、利に負けて流される」
実際、子貢についてはそういう人だったと、どっかで読んだ事がある。
現代で言えば、孫正義やビルゲイツのような人が、何故か孔子を師として慕っているわけで、その孔子のカリスマ性のようなものは、やはり表現できていなかったです。そらあ、無理だよね。
で、孔子はいったい、何をやったのか?
たとえば、日本で言えば、第二次大戦中の軍事政権下で、のし上がっていって、要職につく。もう戦争の話しかないような時代に、彼は、平和を実現させようとする。
総理大臣たちに、仁愛を説くわけよ。馬鹿なの?って話ですよ。
中国の春秋時代は、群雄割拠、戦争と内乱、飢餓飢饉、民は道端に餓死してゴロゴロ横たわり、貴族たちは国内でも権力争いで権謀術数の限りを尽くし、民は鞭で躾けるもんだ、くらいの認識。
そして、当時すでに中国では、孝行、礼、仁、というような考え方は迷信と混じり合うようにして転がっていたわけだが、政(まつりごと)を司る貴族たちも礼などについては形だけの体裁は整えていた。
もう、どうしたらいいの?状態じゃないすか。
孔子は、そこに乗り込んでいって、心の真実、愛、思いやりを説くんだよ…。
形はある。中身を真っ当にしようとした。
そして実際に、古代のシステムをアレンジしながら、ガンガン改革していく。
敵国が迫っているのに兵がいない、というとき彼は言う、「仁愛は勝つ」と。
みんながぼけなす野郎とか思っていると、孔子が改革して優遇された農民たちが、土地を守ろうとして、兵役に志願してくるんだ。
もうね、実は、子貢も目じゃないくらい利に聡いんだ、と思ったよ、ドラマでは。
しかし、そういう人が、心を砕いて、この現状を変えるためにはどうしたら良いのか、と考え、人としての心のあり方を説く。彼は、決して引かない…。
当然ながら、利権を奪われると考えた貴族たちから、国を追い出されるんだよ。
もひとつ言えば、孝行とか礼というのも、システムだなぁ、と思う。
孝行は老いた両親を養う、福祉政策の代わりだよねぇ、
仁はパブリックというものの根幹に置きたい。
礼は、システムを存続させるために必要。
心のありようを説きながら、とても合理的、功利的なんですよ、孔子は。ドラマでは。
彼は、未来を見通して、設計図をビッシと作り上げる。現代の最高の官僚が束になってもかなわないような…なんつうか、天才的な官僚の能力を持った人だと思ったよ。
それをあの時代に馬鹿にされながらやったって事。彼は理解を超えた愛の人なんだと思ったよ。
(猫pさんがおっしゃっていた家父長制に繋がった、という話。
ドラマの中では、乳飲み子を抱えた女や子供を守る、という含意が大きいように思いました。男には家族を守る義務があるんだと、したことは、福祉政策、及び、システムの根幹を支える手段だった。
女手ひとつで孔子を育てた母親は強い女性として描かれていました。
なんつうか、彼が現代に生まれていれば、全く違う政策と、思想を持ったはずと、思ったよ。)
少し狂ったような少正卯が野っ原を駆けていくシーンは、まるでリア王みたいで、後半は、ところどころ、シェークスピア劇のようなギリシャ悲劇のような趣が映像に漂うんだ。とても面白かった。(主役の孔子をくってましたねぇ)。
エンディング曲。
チョオミィっていうのは孔子のことです。とても優しい歌。
仲尼、昨日はどこにいたの?
あなたを待つのはわたしだけ
(そういった歌詞らしい)