母と格闘した日々

 わたしは絶対にやってはいけない事をやった。

 

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 もう、昔の事だ。

 

わたしの母はとても優しい人だ。どこか脆さもあるが、強い人だと思う。

父が亡くなってから母は一人で暮らしていた。

わたしは仕事が忙しかった。

きっかけは叔母のひとこと。

「knoriちゃん、お母さん、変だね」

母の妙に強迫的な言動にわたしは気がついていた。けれどわたしは自分のことにかまけていた。

叔母に注意され、目が開いた。わたしは意を決して、母の家に行き、母と話した。

母は完全に狂っていた。

 

わたしと母は、毎日顔を合わせていた。出勤前の慌ただしいなか、母の家の前で車を止めると母が見送りに出てくる。

「今日は早く帰ってくるから、買い物に連れて行こうか?」せわしなくそんな会話をしていた。

 

ともかく、その日、意を決したわたしは母の家に久しぶりに入った。びっくりした。家の中がおかしい…。

母はわたしの質問に「薬を間違えて、2倍飲んでしまった」というようなこと言った。

薬を調べたわたしは、仰天した。母は向精神薬も服用していた。

母の薬の服用は数年前の睡眠薬からだ。「よく眠れないと言ったら、病院で睡眠薬を出してくれたのよ」と言っていた。かかりつけの個人病院。

みんな風邪を引くとその病院に行った。わたしはその医院で出される睡眠薬を時々のんでいるだけだと思い込んでいた。

 

よく考えると、最近、母は、耳がおかしいと言って、耳鼻科で検査してもらっていた。たぶん、それは幻聴だったのではないかと思った。

 

…そしてわたしは、絶対にしてはいけないことに着手したのだ。

 

わたしは、母の異常な言動は、薬のせいだと確信した。母には一つも異常なところはないはずだと思ったのだ。

しかし、精神科で母の異常は薬のせいだというわたしの主張が通るはずがないと思った。

ましてや専門家を相手に素人が口出しすることは絶対にできないとも思った。

だって、目の前の母は完璧、異常だったのだから。

 

その当時は、言動がおかしくて手に負えない老人たちが病院や介護施設にぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。

 

わたしは、母を入院させれば、母は治らない、と思ったのだ。

 

だから、わたしが母の薬を抜こうと思った。

しかし、ネットで調べると、一年くらいかけて薬を抜いていくことさえ、素人がやるのは危険だと書かれていた。

それをわたしは、2ヶ月でやろうと思った。早急な離脱は、絶対、厳重な医師の管理のもと行わなければならない、と書かれている。

一人で、独断でやった。

急いだ理由は書かない。

 

仕事を辞め、母をわたしの家に連れてきた。

5、6種類の薬のうち、害になっていると思った薬を少しづつ、止めていった。

時々、どうしようもなくなって、戻したりもした。

わたしの家にはR(夫)と彼女(猫)がいた。しかし、わたしはその当時、二人がどうしていたのか、全く記憶にない。彼と彼女の世話をどうしていたのか、覚えていない。まるで、二人がいなかったような感じなんだ。

頭の中ではその2ヶ月間は母とわたしだけだった。地獄のような日々だった。

母を羽交い締めにするように抱きしめながら、「大丈夫、何もいない」と言いながら、泣けてくるんだ。母が大掃除のつもりで荒らしたんだろう部屋を片付けながら、やっぱり泣けてくる。真夜中だというのに、外に出ると言って聞かないので、マイナス十五度の中、二人で歩いた。帰りは母を抱きかかえて引きずりながら戻った。わたしは母と格闘技をしていた。

そうして、2ヶ月が過ぎる頃、母は治った。元の母に戻った。

 

その当時のわたしがどんな有様だったのか、Rは何も言わなかったし、彼女(猫)は、もちろん何も言わない。