写真はオム・テファ監督です。彼のwikiが無くてよくわかりませんが、新人監督のようです。
ネタバレ注意
「隠された時間」という映画をどう素晴らしいと思ったのか、その印象です。
この映画はキチンと時系列通りにショットやシーンが並んでいません。
シチュエーションごとの映像同士を直に繋いだような感覚を持ちました。
何か…新しさを感じたんですよね…よくわかりませんけど。
それと、アップショットが数カ所しかなかったと思います。記憶にあるのは、少年と少女が並んで腰掛けている時の少女の横顔。
大人になった少年が海に飛び込む時も、アップっだったような?
つまり、ほとんどがミドルショットと全身が映るショットでした。
だから、感情移入を狙っているのではなくて、画面に映らない時間を観客に実感させる、というか…。
特殊な時間帯に閉じ込められた少年たちは、早々と二人だけになってしまうのですが、画面に現れるのは、楽しそうな二人です。
けれど、どうやら無音に近い状態で、周りはほぼ時間が止まった状態です。そこに二人だけで、16年間です。
この残酷な時間というものを監督は、たった2つのシーンで、観客に思い知らせるのです。
十六年後に帰ってきた少年は、(現実世界では3日後)の少女に会います。彼女は秘密のノートを読んで、異時間から抜け出す直前にもう一人の少年が死んでしまったこと知るのですが、大人になった少年は、「僕は生きていてイイの?」と泣きました。
こうした言葉は、ジェノサイドの生き残りや大災害の生き残り、というような大変な地獄を見た人しか口にしない、罪の意識ですよね。
そうして、大人少年と少女は警察に追われたり、いろいろあった後、そのシーンになります。
大人少年は、かつての隠れ家に迷い込みます。死んだ少年の声がします。誘う声、楽しそうな声…。
泣きそうな 彼は、少年を探して暗い水に飛び込みます。
このとき…否応無く理解させられます、彼らの16年間を。
「生きてていいの?」と水に飛び込むシーンの2つだけで、この監督は説明し切りました。
ですから、最後の少女のために彼が犠牲になる事というものも、わたしの心にすぅーと冷たいものが流れて映画は終わりました。
おかげで、男の犠牲について考えされらました。
タイタニックでもディカプリオが、
プリズナーズの父親は子供のために悪魔になるという自己犠牲をやりました。
僕のエリの男の子もです。
はっきし言って、やめて欲しい。
好きに生きなさいよ!
女って、犠牲に…ならないような気がする。
ただ、子供のために関しては、なんとも言えないけど。