ピカードが大きく広げた両腕の中に、若いキャラクターたちがいる。
左側、 79歳のパトリック(ピカード役)。
ピカードの選択、決断によって物語が展開する。彼の選択によって若いキャラたちが動き出す。
老人の名優はこう使え、という見本みたいな設定ではないか!\( ˆoˆ )/
右側ダージ/ソージ(双子)のアンドロイド。
むかしドラマなどで、友人の旅行写真のアルバムを見せられ、うんざりしている、なんて描写がよくあった。もちろんインスタ映えなんてものが無かった時代のこと。
いまや、カメラの性能は上がり、素人スナップ写真は編集され、見応えのある楽しいものだ。
かつて同じような笑顔しか並んでいない個人アルバムが家族にウケたのは、写真に見いだされる笑いや想い、といった詩趣が、家族には共有されていたから。
イメージは力があって、ない。9.11の報道写真に激しく揺さぶられるのには、テロ事件の情報共有がある。
つまり、写真や映像には、情報、状況、細部といった文脈が必要なのだ。(文脈を越境していくものは芸術…)。
このエピソード2は、まるでクラシックバレエの音楽とダンスを観ているようだった。
胸を反らし顎をツンと上げた士官と上官の不穏な会話にリズムが刻まれる。
彼等のダンスは、
ピカード以外みんな若く、動きが大きいし、彼に比べればキレもある。
しかし、ピカードの動きには詩趣がある。
老いた日本舞踊の師匠のように最小限の動きで深い趣が表現される。
映像に音楽が加わった瞬間にピカードの佇まいに共有空間が生まれていた。
わたしはピカードの声、というか台詞回しが好きだ。老いてかすれ声になってしまったけど、やはり好き。
ジェフ・ルッソ音楽のオープニングが美しいよ。
Star Trek Picard - Main title sequence