サラエボは冬季オリンピックが開催された美しい街だった。 そのサラエボの無惨な映像をTVで見た時は衝撃だった。
二十数年前、わたしはボスニア紛争をリアルタイムで見ていたのだった。
2015年、フェルナンド・レオン・デ・アラノア監督、脚本
パウラ・ファリス原作
ベニチオ・デル・トロ、ティム・ロビン
この映画は、1995年、ボスニア紛争停戦直後のバルカン半島のどこか、で始まる。
写真は「国境なき水と衛生管理団」 と名乗る、どこか滑稽な国際援助活動家たちとその関係者である。
村の井戸に死体が投げ込まれ、写真の彼らは、死体を引き上げようとする。
村人たちはその様子を遠巻きにして見ている。
援助活動家たちには通訳も居るのだが、村人達とはコミュニケーションがない。見ていると、援助活動家たちは、我が物顔で村人たちの井戸で作業を始める…。
わたしはブラックユーモアという説明に惹かれて、この映画を見始めた。
彼ら援助活動家たちは、何か特化した技術団ではなく、善意の、それも行き当たりばったりで、村人の意見も聞かずに、作業をしていた。
活動家たちと、痛みを抱えた村人たちには違いがある。
この2つのすれ違いが…ブラックユーモアになっていた。
全てが上手くいかないある日、「俺はここで何をやっているんだ」という顔つきの活動家たち。その流されるような起伏のなさが映像のテンポとなっている。
昔好きだったティムロビンスは、活動家のリーダー。むっちゃ卑しい爺さんの役で、愕然とした。
「喜んでもらえる手助けに来た」みたいな彼の善意は、あんな調査不足では摩耗していくばかりだったろう。
おまけに、村人からしてみれば、空爆したNATOに参加していた国の人たちなのである。
デルトロは、少し違う、彼は地元民と関わろうとする。
彼が世話を焼いた少年の両親は、民族浄化の犠牲者だった…。
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監督は「国境なき医師団」のドキュメンタリーを撮ったことがあるらしい。
国際協力の難しさを、監督はそれと分からない皮肉を込めて淡々と撮っている。