草刈りと映画の「バグダッド・カフェ」は似ている。
わたしは草刈りが好きである。
草刈機が不揃いで汚らしい草地をバリバリと刈り上げていく。
醜かった草地が綺麗になって蘇る。
この変化がものすごくわたしは快感なのだ。この感覚がなければ、草刈りは苦痛だろうな、と思う。
「バグダッドカフェ」には太った女が出てくる。
この女が、うらぶれて薄汚れたカフェを隅々まで磨き上げていく。写真のように水のタンクか石油のタンクまで磨く。
わたしは女の掃除にかける並みじゃない気持ちが好きである。好きというより、共感?シンクロだろか?一緒にアーティスティックスイミングをやっているような気になる。
脚をもっと高く!ジャンプしてっ!
綺麗になったね!二人は互いが理解できる…。
この女は、掃除がその場に心地よさをもたらすことを知っている。衛生観念が発達する前は、美的な感覚でもある心地の良さが、重要だったしょぉ!と思ってみる。
ネアンデルタール人はお墓に花を手向け、アルタミラの壁画は呪術目的かもしれないが、花を置き、絵を描く、その行為は心づくしである。
それこそが美的な感性だろう、とわたしは思う。
わたしは、ぴっこーん!と脚を高く上げる。
寝転がったソファの上のスイミングダンスだ。