BORDER/物語の物語

日本ドラマの「BORDERボーダー」をみたよ。

わたしはどうしたって不思議で不思議で。ここ最近、ずっと囚われている、中国ドラマが何故、あんなにも鷹揚な豊かさを持った物語を生み出すのか?

 

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数十年前に読んだ、もう古い記憶、使い物にならないかもしれない道具を引っ張り出して、(ボーダーから派生する)印象をまとめる。

わたしが暮らすこの社会は、とうの昔に、権威とか絶対的なものが崩れた。いろんな言い方があるだろうが、意味を見失って寄るべない感じだ。

 

物語を駆動する感情ってなんだろう?恐怖や畏敬、不条理、葛藤…?

ともかく、現在、不条理さに葛藤するような大きな物語は成立が難しい。

 

この「ボーダー」というドラマでは、刑事である主人公が殺人の原因にコミットしていく。

原因は、「羅生門」のように真実とは別のところのものをそれぞれの人物に物語らせるものだ。原因を語れば、それは物語になる。

 

韓ドラの「梨奏院クラス」では、悪としての権力があった。

 例えば社会批判が見出す権力という怪物、例えば正義感の横には殺人者。ある意味で、そういう所(原因をいじること)にしかもう物語はない。

 

おまけで言えば、裁判は結果と証拠がすべてである(情状酌量もあるけど)。懸命な物語の排除。その手段がときどき融通の効かないように見える法律だ。

 

拠り所となる意味や意義といったものがフラットになってしまった…極端に言っちゃえば、「どっちもどっちだよねぇ」みたいな、「ボーダー」というドラマにように、善と悪の境界をきっちり引けない感じ。

どっちでも良いのなら、どう転んでも意味がないのなら、物語は枯渇する。

切り取られた出来事、ピンポイントの批判、それが現代的な物語。

かくして、日本ドラマ、韓ドラ、洋ドラマも、芸術的な作品は時折出てくるが、いつも似たり寄ったりのお話ばかり、または、「ボーダー」のように自己言及的に悪を受け入れる闇に目を凝らすお話。

 

もちろん、中国ドラマもWEB小説が原作の現代風作りのものがあるけど、それでも、一味も二味も違う。

権威主義的なのではないか、と想像される中国ではあるけど、それだけが物語の豊かさの理由とは思えない。

良い中国ドラマには根幹に「美」がある。倫理的なものと近しい美を感じる。

 

とかく、今の世の中、原因追及に血道を上げる風潮がないかい?

そこに転がっているのは、不毛ですらある曖昧なもの。芸術の分野でこれを味わうのは、ちょいと飽きた。

 

 

中国ドラマの物語性の豊かさ、不思議でならない。まっ、原因に縛られてるわたしなのよ。