ショットの醍醐味

 ドラマのショットには旨味がある。

 

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ネットには、ショットとは「 映像の最小単位」だと書かれている。

特典メイキング映像なんかを見ると、スタートから「カットっぉ!」の声がかかるまでは結構短かったりする。その間の映像がシーンとかショットってよばれている。

ショットが編集されていれば、シーンと言うらしいが、わたしにはこの2つの区別がつかない。

 

編集は繋いだり切り貼りしたりすることで、これがむっちゃ多様で、むっちゃ技術的で、わたしには捉えきれない。

それでも聞きかじった情報をもとに、編集理論を大雑把に分けると、

「黒澤やスピルバーグ等々は、多面的に情景状況を撮影し、編集する。」「小津やコッポラ等々は、言語表現を映像で置き換えるような編集をする。」

これらの編集理論を生かすための編集技術はとても多様。

 

ショットやシーンについて、わたしは「場面」という言葉を使うこともある。でも、何か「場面」という言葉には広がりがあって使いづらい時もある。

「場面の醍醐味」とか「場面のつながり」より「ショットの醍醐味」「シーンのつながり」のほうが分かりやすいしょ?

 

なんとまぁ、やっと本題。。

ショットは、必ず、周りの映像との関係の中にある。とわたしは思っている。

編集は時間も操れるので、言い切るのはちょっと語弊があるかなぁ。

意味的な連続性があるとき、一連の動きの中に置かれたショットは、単独で輝いているわけじゃない。

 

 

一連のシーンのあと、ポンと置かれるショットに感動することがある。例えば、まなざしのショットだけで、恋に落ちた事がわかったりする。

 ショットとショットのあいだにまれに出現する「間」に妙味を感じることもある。

 

 美しいショットは、何かを喚起する力を持つ。

人それぞれだけど、妙に心に残る、短い場面って、映像の醍醐味のひとつだ、と思う。