「男は政治を志してなんぼだ」
ってなことが、人生の既定路線だったらどうする?
そしてその既定に対抗する「なにもいらない。愛している」という女の情。
なにせ、「志と情」を対立軸とする物語が、多いんだわ、中国時代劇ドラマには。
まぁ。。この儒教的な「政治を志せ」みたいな固定観念と、「女の愛」をなんで対立させるの?ってわたしは不思議に思ってた。
でも、「情」をアレゴリーだと考えればモヤモヤも解ける。
「情」は、「自由に好きに生きたい」ってことを象徴しているんだなぁ、と。。
つまり、老荘思想と儒教なんだ。思想哲学には理解が及ばないけど、単純に、「自由と規律」「破壊と常識」などと広げて考えても良いかな?と思う。
何故、執拗に物語に入れてくるのか、そこら辺は分からない。。
「大明皇妃」はこの対立軸から無関係かと思っていたら、なんと、ラストに入れてきた。
(「大明皇妃」は、朱瞻基が死んじゃって、見るのをやめてたんだけど、「後半も、面白かったよ」と言われて見たんだ。)
この皇妃は、朱瞻基に愛され、いつも政治権力の中枢にいる、志に生きた女性だった。
それが、最後の最後、徐浜さんから「自由に生きよう。旅に出るぞ」って言われて、、二人で船に乗ってしまう。
必要無いどころか、お墓で待ってる朱瞻基、かわいそう。。コオロギも鳴いてた。
何故入れる?
まぁ、厳密に言えば、宮廷でゴーンゴーンって鐘が鳴っていたので、連れ出される前に亡くなったんだと思う。
船上のふたりは、今際の際の夢だったんだろう。