「バットマンvsスーパーマン」希望とは決意だと言ってみる

この映画、 面白い。でも、冗長。

 

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 あらすじ

 バットマンベン・アフレック)は、両親の殺害現場を目撃したという過去のトラウマから犯罪者一掃に力を注ぎ、一方超人的能力を持つスーパーマンヘンリー・カヴィル)は、その力を人類のために惜しみなく使ってきた。だが、その破壊力の強大さゆえに、スーパーマンは人々からバッシングを受けるようになり……。シネマトゥデイ

 

「マン・オブ・スティール」の続編にあたる作品。スーパーマンと敵の戦いは市街地に甚大な被害をもたらした。

 

バットマンは、「リンチ(私刑)」の実践者である。それは、徹底的な自由主義、独立独歩の精神からくる。

西部劇で人々が犯罪者を吊るそうとしている時(私刑)、保安官が「いや、裁判にかける」と言って助け出すシーンがあるが、バットマンは吊るす側であり、スーパーマンは保安官の側である。

 

 いや、そもそも、スーパーヒーロー達(スーパーマンも)は、根本精神は吊るす側の者たちだ。けれど、私刑ではなく、当局に犯罪者を引き渡す。

  そして、スーパーマンは私刑もやむなしとするバットマンに疑念を持っている。

 

(スーパーマンの戦いで)激しい攻撃を受けた街は、9・11を彷彿とさせる描写だ。

 不安が(どうしたら防げるの、と言う声が)、街を席巻する。

 

バットマンは言う。

「スーパーマンが人々を救ってきたのは分かっている。しかし、彼のパワーが人々に害をもたらす可能性が1%でもあるなら、わたしはかれをたたく。」

 

バットマンは、つまり、「犯罪を予測し、犯罪の可能性があるなら、まだ、事を起こしていない者をたたく」という考えなのだ。

「マイノリティー・リポート」も、犯罪予知に従い、犯罪を起こしていない者を逮捕するという話だった。

 

好むと好まないとに関わらず、犯罪抑止システムは発達するだろう。

監視カメラ用の、犯罪予測をするアルゴリズムも開発された。(精度の程は知らない)。

 

しかし、この映画に習えば、「犯罪予測」は決して「希望」ではない。

そして、 スーパーマンでもない。

希望とは、可能性を秘めた人間性である。…なーんちって。