「そんな彼なら捨てちゃえば」エロスに触れた詩人は…

 ケン・クワビス監督。原作グレッグ・ベーレント(セックスアンドザシティの脚本家)、リズ・タシーロ。2009年作。

 

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ジニファー・グッドウィンの恋模様は王道のラヴコメで、彼女を軸にその周りに愛の冷めた夫婦、同棲歴7年のカップル、若い美女であるスカーレット・ヨハンソンとネットで恋人探しのドリュー・バリモアらが錯綜して描かれる。

 

ジェニファー・コネリーブラッドリー・クーパーと夫婦で、ジェニファーはタバコを巡る一件など、そのキレかたはとてもついていけないし、嫌な女なのだけど、でも、何というか、彼女がギュウと中心にあって、そのほかの出来事や人がボワンと広がっていってる感じで、並みのラヴコメとは一線を画している。

 

ジェニファー・アニストン演じる、7年も同棲しているのに結婚のOKがもらえないその彼女が、結婚を望むことに象徴されると思うのだけど、この物語の女性たちは、皆、結婚がしたい…という話になっている。(アニストンがなぜ、結婚にこだわるのかの説明はない。)

 

ジニファーやバリモア、ヨハンソンは相手が欲しいだけなのかもしれないけど、ゆくゆくはそれが実って結婚を(ヨハンソンが売り家で語った様に)夢見ている。

 

まあ…左様にこの物語の前提は女は結婚したい、ってことになっている…。

この前、「 この世界の片隅に」で、見合い結婚のことチラと書いたけど、現代の恋愛結婚も構造は一緒なんだなと思う。結婚という最小の制度を必要としているのが家族から社会、国家という風に移っただけで…。結婚制度は人心を落ち着かせる規律的な最小の単位。そうして、子供。まあ、女性たちが子供を産まなくなったら日本無くなるしね…。

 

つまりさ、こういう映画みると、やっぱ結婚しなくちゃ、という押し寄せる波音のようなリズムがさ、女性たちのお腹に響いてくわけですよ。

 

コネリーが夫の心を取り戻そうとして、彼のオフィスで服を脱ぐシーンは、なんというか、そこで選択したのが、やはり、エロスの喚起であった、というのが、ちょっとわたしは考えちゃったのでした。