「寄ってくる女たちと寝なかったのは!君を愛していたからだ!」ホントは浮気したかった…と言ってしまっている夫である。しかし彼は、何故かその“義侠心”を誇るのだった。
乾いた笑いが混じる夫婦の様子。彼らは離婚に向けて動いている。
そこにあるのは“あるひとつの結婚”であった。
ノア・バームバック監督、脚本。2019年。
アダム・ドライヴァー(夫役)、スカーレット・ヨハンソン(妻役)。
舞台監督の夫と女優の妻は離婚の準備をしていた…。−wiki−
結婚は互いが色んなことを我慢しあいながら成立する。ww と思うよ、わたしは。
けれど、何かがきっかけとなってそうした日々が崩れ出す。
ノア監督はこの脚本を最初の妻ジェニファー・ジェイソン・リーとの離婚を下敷きに書いたらしい。離婚後、ジェニファーはこの映画のように監督としても評価された。
アダムとヨハンソンの夫婦も知らぬ間に心が離れてしまったのかもしれない。夫は浮気をし、妻は、夫の劇団を去って、ロサンゼルスで仕事をするつもりだ。彼女は離婚の決意を固めていた。
芸術家同士の結婚は難しい。まぁ、高村光太郎やロダンの話を思い浮かべているわけだが。
なんていうか、この妻に才能が無かったなら、自分の舞台俳優としてのキャリアに満足し、多少の犠牲には目をつぶったのではないかしら。
しかし、彼女は離婚することで飛躍しようとする。
夫は、彼女の才能を縛っていた事を理解しなかった。
子供の親権をめぐる争いはなかなかエグいのだが、可哀想なことに夫は何故、離婚されるのか、よくわかっていない。
ラスト、夫は妻の離婚調停時のレポートを読んで嗚咽する。このレポートは映画の冒頭で妻に拒否され読ませてもらえなかったものだ。この時すでに妻は離婚の決意をかためていた。
「変なんだけど、ずっとあなたを愛している」
そこにはそう書いてあったのだ。
結婚ってそういうことだよなぁ、と、わたしはつくづく思う。
この時、複雑怪奇な結婚というものについて、この映画は普遍性を獲得する。