世界の底からわたしは見上げた。
10歳くらいだった。星空を見たのだ。そのとき、わたしは意味の病にかかった。
宇宙の無機質さが信じていた世界と基準を消し去った。ここにわたしが居る意味がわからない。存在していることの意味が欲しい。稲妻のようなニヒリズムにわたしはおそわれ、そしてそれに、怯えた。
昔の話だ。その時の孤独は長いことわたしと一緒だった。
当然だ、わたしはうまく説明できなかったのだ。頭が悪いちっぽけな少女が懸命に本を読んだところで答えなど見つからない。その絶望から解放されたのは大人になってからだった。だからいつも本はわたしと一緒だった。
今回の本は、
frikandelさんの書評を読んですぐKindleをポチ。 むちゃくちゃ面白かった!
高校生の時、マルクス全集を買った彼は、学生運動の生き残りだ。
「秋だ 。俺達の舟は 、動かぬ霧の中を纜を解いて 、悲惨の港を目指し 、焔と泥のしみついた空を負う巨きな街を目指して 、舳先をまはす。」
このランボーの詩が何遍も出てくるのだが、彼は、学生運動のとき、悲惨の港に行くことは叶わなかった…。
彼の仕事人生は強大な重力に満ち、彼は体内にブラックホールを抱いている。
テルアビブ空港で乱射事件を起こした奥平のことも何遍も出てくる。
この時、彼は、善悪を問題にしていない、彼にとって奥平は悲惨の港へ行った者なのだ。信念を跨いで行動に行くこと、その間の大きな隔たりに彼は打たれている。
それが彼の体にブラックホールを作った。
と、そんな感想を抱かせる壮絶な仕事人生の本だった。
まあ、まんまと見城氏の術中にはまったのかもしれないが。